安照寺。比企郡小川町木部にある天台宗寺院

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安照寺。小川町指定有形文化財の阿弥陀如来立像

安照寺の概要

天台宗寺院の安照寺は、龍澤山龍眼院と号します。安照寺は、明和年間(1764-1772)の火災により古記録類を焼失してしまったことから、創建年代等は不詳ながら、神亀年間(724-729)に行基菩薩が開創したとも伝えられ、また元亀元年(1570)の記録があったともいいます。江戸期には幕府より寺領5石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領していました。当寺本尊阿弥陀如来像は、鎌倉時代末期頃の作と推定され、小川町有形文化財に指定されています。

安照寺本堂
安照寺の概要
山号 龍澤山
院号 龍眼院
寺号 安照寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 比企郡小川町木部31
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



安照寺の縁起

安照寺は、明和年間(1764-1772)の火災により古記録類を焼失してしまったことから、創建年代等は不詳ながら、神亀年間(724-729)に行基菩薩が開創したとも伝えられ、また元亀元年(1570)の記録があったともいいます。江戸期には幕府より寺領5石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領していました。

境内掲示による安照寺の縁起

安照寺は、天台宗に属し寄居町塚田普光寺の末寺で龍澤山と号する。
数度の火災により詳しい資料がなく、何時、誰が安照寺を建てたか不明であるが、この地方の天台宗寺院は古いものが多く、この寺も慶安二年(一六四九)五石の御朱印を受けていたといわれ、歴史の深さがうかがわれる。
また、門外の道路沿いにある石幢は、砂岩に六地蔵を浮彫りにしたもので、この付近では例の少ない形式のものである。(埼玉県・小川町掲示より)

新編武蔵風土記稿による安照寺の縁起

(男衾郡竹澤木部村)
安照寺
天台宗、赤濱村普光寺末、龍澤山龍眼院と號す、寺領五石は慶安二年八月賜はれり、本尊阿彌陀、
阿彌陀堂(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による安照寺の縁起

安照寺(木部三一)
安照寺は、龍沢山龍眼院と号し、天台宗に属する寺院である。江戸時代は、赤浜村(現寄居町)普光寺の末であった。本尊は阿弥陀如来である。墓地の入口には六地蔵尊があるが、これは六体の地蔵菩薩の像を六角柱の一面ずつに刻んだ、珍しいものである。
寺歴については、明和年間(一七六四-七二)に類焼し、本堂・庫裡などの建物はもとより、過去帳や古記録・什器類をことごとく焼失してしまったため、詳しいことは不明である。しかし、口碑によれば、神亀年間(七二四ー二九)に行基が開いたものと伝えられ、『旧竹沢村誌』は開基について「現存最古の書によれば元亀元庚午年(一五七〇) の記録現存す」と記している。また、慶安二年(一六四九)八月に、寺領五石を将軍家から賜っている。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


安照寺所蔵の文化財

  • 安照寺木造阿弥陀如来立像(小川町指定有形文化財)

安照寺木造阿弥陀如来立像

本像は安照寺の本尊として伝来したと考えられます。像高は七一・五センチメートル、構造は寄木造で玉眼・漆箔からなり、頭部の盛り上がり(肉髻)には水晶がはめ込まれています。
張りのある堂々たる体つきと簡潔で強く張りのある着衣の衣文表現は、鎌倉時代の運慶や快慶に代表される慶派仏師の影響が認められます。また、低く平らな肉髻や頭の鉢が張り、髪際の線が緩やかにカーブを描き、螺髪(巻貝状の髪)が渦巻き状になる表現は、宋元風の影響が認められます。
こうした特徴から、本像は鎌倉時代末期頃の製作と考えられます。(小川町教育委員会掲示より)

安照寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」