林昌院。小川町高谷にある天台宗寺院
林昌院の概要
天台宗寺院の林昌院は、遍照山高清寺と号します。林昌院の創建年代等は不詳ながら、地頭林銅四郎が江戸幕府より「林昌院」の院号を寛永4年(1627)に拝領、林銅四郎が中興開基、定賢が中興開山したといいます。
山号 | 遍照山 |
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院号 | 林昌院 |
寺号 | 高清寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡小川町高谷704 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
林昌院の縁起
林昌院の創建年代等は不詳ながら、地頭林銅四郎が江戸幕府より「林昌院」の院号を寛永4年(1627)に拝領、林銅四郎が中興開基、定賢が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による林昌院の縁起
(高谷村)
林昌院
遍照山高清寺と號す、天台宗、東叡山末、彌陀を本尊とす、中興開山定賢寶永三年二月寂す、それより前のこと詳ならず、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による林昌院の縁起
林昌院(高屋七〇四)
林昌院は、遍照山高清寺と号し、天台宗に属する寺院である。江戸時代は、東叡山(東京都台東区上野の寛永寺) の末であった。本尊は、阿弥陀如来である。境内の一角には、弘安七年(一二八四)銘の立派な板碑があるが、これは八和田地区に現存する板碑の中では三番目に古いものである。
口碑によれば、林昌院は、寛永四年(一六二七)に地頭の林銅四郎が徳川幕府に恩功あり、「林昌院」の院号を賜ったことから開基となり、僧定賢を開山とし高清寺を建立したという。しかし、『新編武蔵風土記稿』に「中興開山定賢宝永三年(一七〇六)二月寂す、それより前のこと詳ならず」とあるように、定賢は中興開山である。したがって、既にこの地にあって衰微していた寺を林銅四郎が定賢を中興開山として再興したものが、林昌院であるといえよう。
したがって、林昌院の開山・開基については不明であるが、「武田公の出自であり、それゆえ檀家の姓は武田公の臣のものである」との伝えもある。檀家は、高谷全体にあり、参詣の折には家内安全・身体の健康・先祖の冥福などが祈願されることが多い。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
林昌院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」