長昌寺。小川町増尾にある曹洞宗寺院
長昌寺の概要
曹洞宗寺院の長昌寺は、猿尾山と号します。長昌寺は、正中年間(1324-1326)に創建、暾嶺邦秀和尚が開山したといいます。大梅寺が勧請したとされる白山神社が境内に祀られていることから、白山神社護持のために建立されたものと思われます。
山号 | 猿尾山 |
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院号 | - |
寺号 | 長昌寺 |
本尊 | 釋迦牟尼佛像 |
住所 | 比企郡小川町増尾26 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長昌寺の縁起
長昌寺は、正中年間(1324-1326)に創建、暾嶺邦秀和尚が開山したといいます。大梅寺が勧請したとされる白山神社が境内に祀られていることから、白山神社護持のために建立されたものと思われます。
新編武蔵風土記稿による長昌寺の縁起
(増尾村)
長昌寺
曹洞宗、大塚村大梅寺末、猿尾山と號す、正中年中の創立といへり、本尊阿彌陀を安置す、開山暾嶺邦秀、
阿彌陀堂。行基の作佛を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による長昌寺の縁起
長昌寺(増尾二六)
長昌寺は、猿尾山と号し、曹洞宗に属する寺院である。江戸時代は、大塚村大梅寺の末であった。本尊は阿弥陀如来で、境内にある仏堂には行基の作という阿弥陀如来像が安置されている。
正中年間(一三二四-二六) の創立で、開山は暾嶺邦秀和尚と伝えられているが寂年など詳細は不明である。境内は、本山である大梅寺の開山円了が勧請したと伝えられる白山神社があり、神仏分離が行われる前は、長昌寺が大梅寺に成り代わって白山神社の社務を行っていたと思われる。増尾公会堂ができる前は、白山神社の祭典後の直会は長昌寺で行っていたのも、その名残といえよう。
長昌寺の境内にある仏堂は『新編武蔵風土記稿』に「阿弥陀堂」と記されているが、現在は勢至堂もしくは「三夜様」と呼ばれている。天保十四年(一八四三)奉納の灯龍の台座に「献勢至弥陀薬師三尊」とあるため、元来は阿弥陀三尊像を祀っていたと思われるが、薬師如来像は失われている。この勢至菩薩は、商売繁昌などの御利益があるとして広く信仰されており、十月二十三日の縁日にはかつては深谷や行田などからも商人が参詣に訪れたものであったという。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
長昌寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」