普賢寺。比企郡小川町奈良梨にある天台宗寺院

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普賢寺。鈴木隼人佐重親開基

普賢寺の概要

天台宗寺院の普賢寺は、多寶山正觀院と号します。普賢寺の創建年代等は不詳ながら、鈴木隼人佐重親(慶長17年1621年没)が開基となり、亮光(了光)が中興開山、江南町須賀広にあった能満寺の釈迦三尊像の脇侍普賢菩薩を当寺本尊として奉安したといいます。

普賢寺本堂
普賢寺の概要
山号 多寶山
院号 正觀院
寺号 普賢寺
本尊 普賢菩薩像
住所 比企郡小川町奈良梨830
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



普賢寺の縁起

普賢寺の創建年代等は不詳ながら、鈴木隼人佐重親(慶長17年1621年没)が開基となり、亮光(了光)が中興開山、江南町須賀広にあった能満寺の釈迦三尊像の脇侍普賢菩薩を当寺本尊として奉安したといいます。鈴木隼人佐重親は、松山城の与力として後北条氏に仕えていましたが、小田原城落城後に土着した当地の旧家です。

新編武蔵風土記稿による普賢寺の縁起

(奈良梨村)
普賢寺
天台宗、東叡山の末、多寶山正觀院と號す、慶長八年の草創にて、開山了光と云、開基鈴木隼人佐重親は、慶長十七年五月十五日卒す、法名月宮清山道賢居士と號す、則ち村民仙右衛門が先祖なりと云、本尊は普賢を安ず、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による普賢寺の縁起

普賢寺(奈良梨八三〇)
普賢寺は、多宝山正観院と号し、天台宗に属する寺院である。江戸時代は東叡山(東京都台東区上野の寛永寺) の末であった。本尊は普賢菩薩で、寺号はこの本尊に由来するものと思われる。なお、この本尊の普賢菩薩は、かつて江南町の須賀広にあったと伝えられる能満寺という大寺の本尊として祀られていた釈迦三尊像の脇侍であったものといわれ、極楽往生の御利益があるとされている。
寺伝によれば、普賢寺は、慶長八年(一六〇三) の創立で、開山は了光、開基は鈴木隼人佐重親であるといい、鈴木隼人佐重親は慶長十七年(一六二一)五月十五日に没し、月宮清山道賢居士と謚されたという。ちなみに、この鈴木隼人佐重親について、『新編武蔵風土記稿』は「村民仙右衛門が先祖なりと云」と記している。また、一説には、開山の了光を「亮光」と伝え、中興開基とする伝えもある。これが正しいとするならば、普賢寺の前身となる寺があり、それを鈴木隼人佐重親が再興したものと思われるが、確証はない。
その後、明治五年三月に焼失し、しばらくの間は仮堂であったが、明治十六年に復興され、本堂を新たに建立して今日に至っている。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


普賢寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」