宗藏寺。小川町能増にある天台宗寺院
宗藏寺の概要
天台宗寺院の宗藏寺は、松谷山青龍院と号します。宗藏寺は、度重なる火災により創建年代等は不詳ながら、昭和34年に倒壊して今はない観音堂は、延宝8年(1680)に建立されたものだと伝えられます。
山号 | 松谷山 |
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院号 | 青龍院 |
寺号 | 宗藏寺 |
本尊 | 千手観音像 |
住所 | 比企郡小川町能増457 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宗藏寺の縁起
宗藏寺は、度重なる火災により創建年代等は不詳ながら、昭和34年に倒壊して今はない観音堂は、延宝8年(1680)に建立されたものだと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による宗藏寺の縁起
(能増村)
宗蔵寺
天台宗、男衾郡塚田村普光寺末、松谷山青龍院と云、本尊は千手觀音なり、
觀音堂(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による宗藏寺の縁起
宗藏寺(能増四五七)
宗蔵寺は、松谷山青龍院と号し、天台宗に属する寺院である。江戸時代は、男衾郡塚田村(現寄居町)普光寺の末であった。本尊は、千手観音である。
寺歴については、本堂・庫裡共に天保元年(一八三〇)に焼失し、その後天保三年(一八三二)三月中に再建されたと伝えられるのみで、寺の創立の年代や、開山・開基などは不明である。ちなみに、宗蔵寺の焼失は、天保元年だけでなく、地元の石川家所蔵の古文書に「去ル文政十亥(一八二七)菩提所焼失仕」と見えることから、この年にも焼失し、さらに明治初年にも焼失している。こうした再三の火災により、建物とともに寺歴を伝える記録なども焼失してしまったものであろう。
また、かつては宗蔵寺の境内には、聖観音を祀った観音堂があった。この観音堂は、一間四方ほどの小規模なもので、勧請文によれば延宝八年(一六八〇)六月十八日に田口角之丞ほか一六名によって建立されたものであることがわかる。しかし、伊勢湾台風のころ(昭和三十四年)倒壊し、再建されていない。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
宗藏寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」