高西寺。小川町小川にある真言宗智山派寺院
高西寺の概要
真言宗智山派寺院の高西寺は、岩傳山と号します。高西寺は、高真阿闍梨(天文9年1540年寂)が開山、行基菩薩作と伝えられる地蔵菩薩像を本尊としています。境内に二十三夜堂は、勢至菩薩像を祀り、旧暦二十三日の夜には女人講が行なわれていたといいます。
山号 | 岩傳山 |
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院号 | - |
寺号 | 高西寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 比企郡小川町小川1368 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高西寺の縁起
高西寺は、高真阿闍梨(天文9年1540年寂)が開山、行基菩薩作と伝えられる地蔵菩薩像を本尊としています。境内に二十三夜堂は、勢至菩薩像を祀り、旧暦二十三日の夜には女人講が行なわれていたといいます。
境内掲示による高西寺の縁起
高西寺は、京都東山にある智積院を総本山とする真言宗智山派の寺である。
明応五年(一四九六)高真阿闍梨(天文九年没)により開山された。
本尊は、地蔵菩薩(座像)で行基の作といわれている。
境内には、勢至堂があり俗に二十三夜様といわれ旧暦九月二十三日を縁日としている。
他に、参道には有縁無縁一切供養地蔵塔がある。(埼玉県・小川町掲示より)
新編武蔵風土記稿による高西寺の縁起
(小川村)
高西寺
新義眞言宗、入間郡堂山村最勝寺末、岩傳山と號す、開山高眞天文九年寂す、本尊地蔵行基の作と云、
勢至堂(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による高西寺の縁起
高西寺(小川一三六八)
高西寺は、岩伝山と号し、真言宗智山派に属する寺院である。江戸時代には、入間郡堂山村(現越生町)最勝寺の末であった。本尊は地蔵菩薩で、この像は行基の作と伝えられており、檀徒の間では、諸願成就の御利益があるとして信仰が厚い。また、寺宝の弁財天像は、弘法大師が天長七年(八三〇)に相州(現神奈川県)江ノ島で護摩修法を行った時の護摩の灰で作られたものといわれている。
開山は高真で、天文九年(一五四〇) の寂と伝えられる。しかし、江戸時代に火災に見舞われ、寺歴を伝える資料を焼失したため、詳細は不明である。高西寺は仙元山の麓にあり、山裾を取り巻くように槻川が流れているが、この川に架かる青木橋の付近には、僧・高真が修行したといわれる「高真坊」という場所がある。
寺内には、ほかに勢至菩薩を祭った二十三夜堂がある。この堂は、一般に「三夜様」の通称で知られており、とりわけ女性に厚く信仰され、旧暦の二十三日の夜には女人講による待(祭り)が行われていた。なお、二十三夜堂の本尊の勢至菩薩は、知恵を司る仏といわれており、今もしばしば参詣に訪れる人の姿がある。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
高西寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」