明王寺。比企郡小川町高見にある真言宗智山派寺院

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明王寺。小川町高見にある真言宗智山派寺院

明王寺の概要

真言宗智山派寺院の明王寺は、高見山正覺院と号します。明王寺の創建年代等は不詳ながら、光清が中興開基となり寛永7年(1630)に本堂を建立、地頭の鎮目惟明が正覚院と命名したと伝えられます。その後元重が延享4年(1473)本堂を再建して中興開山したといいます。

明王寺本堂
明王寺の概要
山号 高見山
院号 正覺院
寺号 明王寺
本尊 延命地蔵尊像
住所 比企郡小川町高見763
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



明王寺の縁起

明王寺の創建年代等は不詳ながら、光清が中興開基となり寛永7年(1630)に本堂を建立、地頭の鎮目惟明が正覚院と命名したと伝えられます。その後元重が延享4年(1473)本堂を再建して中興開山したといいます。四津山神社の前身である愛宕神社は、宝暦9年(1759)に現在地へ遷座するまで、当寺の境内鎮守でした。

新編武蔵風土記稿による明王寺の縁起

(高見村)
明王寺
新義眞言宗、京都蓮臺寺末、高見山正覺院と號せり、開山詳ならず、中興開山を元重と云、延享四年二月四日示寂す、本尊は地蔵なり、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による明王寺の縁起

明王寺(高見七六三)
明王寺は、高見山正覚院と号し、真言宗智山派に属する寺院である。江戸時代には、京都蓮台寺の末であった。本尊は、延命地蔵尊で、像の背面にある墨書から享保十九年(一七三四)に作られたものであることがわかる。
明王寺の閉山・開基はともに不明で、寛永七年(一六三〇)九月に中興開基光清が建立し、地頭の鎮目惟明が「正覚院」と命名したと伝える。その後、当山の六世で中興開山の元重が延享四年(一七四七)三月に本堂を再建した。その後、十二世重誉の代である安永四年(一七七五)に至って先代住職の重尊の発願により、光明真言講中四九人によって須弥壇が建立された。平成五年四月十八日に現在の本堂の落慶法要が行われ、明王寺はその趣を一新したが、この須弥壇は唯一残された旧本堂の遺構である。この再建の際、須弥壇建立の時の墨書が見つかっており、それによれば須弥壇製作の手間は二八四人、費用は一〇両余りを要したことがわかる。
なお、高見の四津山神社は、元来は「愛宕様」と称し、重誉の代に明王寺の境内鎮守として京都から勧請されたものである。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


明王寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」