梅園神社。南北朝時代には天神社と称して創祀
梅園神社の概要
梅園神社は、入間郡越生町小杉にある神社です。梅園神社の創建年代等は不詳ながら、観応元年(1350)銘の棟札が残されていたことから、南北朝時代には天神社と称して祀られていたといいます。慶安2年(1648)には徳川家光より社領2石5斗の御朱印状を拝領、明治5年村社に列格、明治40年字堂山の村社近戸神社及び大字上谷の村社三島神社を合祀、梅園神社と改称したといいます。
社号 | 梅園神社 |
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祭神 | 猿田彦命、天鈿女命 |
相殿 | - |
境内社 | 雷電社、天神社、青木社 |
祭日 | 十月第四土曜日・日曜日 |
住所 | 入間郡越生町小杉1 |
備考 | - |
梅園神社の由緒
梅園神社の創建年代等は不詳ながら、観応元年(1350)銘の棟札が残されていたことから、南北朝時代には天神社と称して祀られていたといいます。慶安2年(1648)には徳川家光より社領2石5斗の御朱印状を拝領、明治5年村社に列格、明治40年字堂山の村社近戸神社及び大字上谷の村社三島神社を合祀、梅園神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による梅園神社の由緒
(小杉村)
天神社
社領二石五斗の御朱印を賜はる、神體は圓徑五寸許の銅板にて、中央に束帶して坐せる神影を模せり、本地十一面觀音湛慶の作なりと云、古棟札の存するもの數枚の内に、觀應元年の札あるときは、古き創立なること知べし、棟札の文左にのせり、
觀應元庚寅年三月七日
岩峯山安楽寺
阿闍梨禅海大徳 生年四十六歳
大旦那右衛門門直氏 大工小太郎恒行
此棟札の文字剥落して、慥に讀得ざる處なり、今別當寺の記録に據て補書せり、されど文中修理造營のことを載ざるもの、もしくは裡面に其ことありしを、傳へうしなひしものにや。
この棟札に年月及修理のころは記さざれども應永前のものなりと云ふ、
(文面省略)
此外慶安四年より、享保元年までの棟札、數枚これあり。
末社。神明社、山王社、愛宕社、辨財天社、稲荷社。
別當大泉院
當山修験にて西戸村山本坊の配下なり、按に前に列ねたる觀應より、天正十九年までの棟札には、岩峯山安楽寺と云別當の進退なりしを、後年大泉院に改しことしらる、且應永十二年の棟札に、別當高房山禅海云々と云ことをのす、この高房山は、則成瀬村内高房山妙見寺ならんには、彼寺この頃まで當社の別當なりしことしらる、猶妙見寺の條合せ見るべし。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による梅園神社の由緒
梅園神社<越生町小杉一(小杉字太梅)>
小杉は、越辺川沿いに東西に長く延び、西は山地で川沿いに平地がある。縄文中期の集落跡越路遺跡があり、中世の大田氏館跡も伝わり古くから開かれた所である。
当社の歴史を語る史料に一七枚の棟札がある。このうち最古の物は、現在摩滅して解読できないが、『風土記稿』に「観応元庚寅年三月七日」と平安末期の年紀が載り、古社であることが知られる。更に、古くは天満宮と称していたこと、別当は初め本山派修験岩峰山安楽寺が務めていたが、慶長ごろに大泉院に替わり、明治期に入って同院は復飾し神職となり手島と名乗るようになったことなどが分かる。
慶安二己丑年一一月一七日、将軍家光の朱印により社領二石五斗を受ける。以来村の鎮守として崇敬され、明治五年に村社となる。
明治四〇年には、大字堂山の村社近戸神社及び大字上谷の村社三島神社を本殿内に合祀し、社号を現在のごとく変更する。
本殿には、天神座像二五センチメートルを安置する。なお『風土記稿』には「神体円経五寸許の銅板にて、中央に束帯して座せる神体を刻せり、本地十一面観音湛慶の作なり」とあるが現存しない。ほかに合祀した近戸神社のものである石棒七二センチメートルが安置されている。
神社裏の林は、すだ椎の美林であり、県指定天然記念物となっている。(「埼玉の神社」より)
梅園神社所蔵の文化財
- 梅園神社本殿(町指定文化財)
- 梅園神社の獅子舞(町指定文化財)
- 梅園神社二十八枚の棟札(町指定文化財)
梅園神社
梅園神社は古くは神仏習合の社で、後述の棟札には岩峰山安楽寺天神宮と記されている例もある。江戸時代には小杉天神社と称し、修験山本坊配下の大泉院が社務を司っていた。明治維新の神仏分離を経て、明治四十年(一九〇七)に堂山の近戸神社、土谷の三島神社ほかを合祀して梅園神社と改称した。
南北朝時代の観応元年(一三五〇)から江戸時代の嘉永五年(一八五二)までの、社殿の上棟・再建・修理年月日、願主や工匠名などを記した計二十八枚の棟札(町指定文化財)が伝存している。このうち享保元年(一七一六)の棟札が現本殿造営時のものとみられ、当本殿は建築時期を知り得る町内の神社建造物の中では現存最古と推定されている。絵図から、同時期の建築と思われる灰での建築当初の様子を窺うことができる。(越生町教育委員会掲示より)
梅園神社の獅子舞
梅園神社の秋祭りに奉納される獅子舞は、飯能高山の三輪神社より伝わったとされ、氏子区域の大字小杉、堂山、上谷下組の三地区で構成される獅子舞保存会が伝承している。
笛の音と、四人の女子が務める花子が掻き鳴らす竹製の簓の伴奏で、大獅子と中獅子の雄獅子二頭が雌獅子を奪い合うという筋立で舞われる。「ささら」は獅子舞の通称ともなっており、その音から、花子のことを「ちゃっちゃこ」とも呼んでいる。
獅子宿での「庭摺り」の後、境内に移って、「一つ回り」を舞い、続く「三つ回り」では三頭の獅子が毬と戯れる。雌獅子を雄獅子が争う「雌獅子隠し」の後が「白刃」で、太刀を咥えて斬り合う雄獅子を、両手に太刀を持った雌獅子が仲裁し、三番叟を演じる。
開催期日十月第四土曜日・日曜日(越生町教育委員会掲示より)
梅園神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)