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成瀬諏訪神社。入間郡越生町成瀬の神社、旧村社

成瀬諏訪神社の概要

成瀬諏訪神社は、入間郡越生町成瀬にある神社です。成瀬諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、武蔵七党児玉党の鳴瀬氏が当地成瀬に本拠を構えていたといい、諏訪社はかつて小名宮地に鎮座していたといいます。江戸期には成瀬村の鎮守として崇敬され、慶安2年(1648)には江戸幕府より社領5石の御朱印状を拝領、明治5年村社に列格、明治39年には無格社浅間神社が祀られていた当地へ遷座したといいます。

成瀬諏訪神社
成瀬諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 木花開耶姫命
境内社 神明社、稲荷社、熊野社
祭日 -
住所 入間郡越生町成瀬673-1
備考 -



成瀬諏訪神社の由緒

成瀬諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、武蔵七党児玉党の鳴瀬氏が当地成瀬に本拠を構えていたといい、諏訪社はかつて小名宮地に鎮座していたといいます。江戸期には成瀬村の鎮守として崇敬され、慶安2年(1648)には江戸幕府より社領5石の御朱印状を拝領、明治5年村社に列格、明治39年には無格社浅間神社が祀られていた当地へ遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による成瀬諏訪神社の由緒

(成瀬村)
諏訪社
慶安二年社領五石の御朱印を賜ふ、神體は長一尺許の丸き石なり、村の鎮守とせり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による成瀬諏訪神社の由緒

諏訪神社<越生町成瀬六七〇(成瀬字弘法山)>
当社は鎮座地である成瀬のほぼ中央に位置する弘法山(一六六・一メートル)の山頂に奉斎されている。成瀬は古く鳴瀬とも書き、平安時代から鎌倉時代にかけて武蔵七党児玉党の鳴瀬氏がこの地に館を構えていたと伝えられる。
創建の年代は詳でないが、古くは新倉に鎮座していたものを、建久年間に成瀬右近太郎有年により宮路へ遷座したと伝える。(新倉、宮地ともに現在も小字名として残っている。)
明治五年に村社となり、同三九年には宮路から弘法山の山頂へ遷座し、そこに祀ってあった無格社浅間神社を本殿内に合祀した。この遷座の理由は、村社である当社を祀るには、村外れの宮路より、村の中央にあって、どこからでも仰ぎ見られる弘法山の頂の方がふさわしいとされたためで、その際、本殿は旧浅間神社の参道を一直線に引き上げられたが、拝殿と社務所は解体して運んだという。
祭神は建御名方命で、浅間神社の合祀により木花開耶姫命を併せ祀る。また、一間社流造りの本殿内には、建御名方命が軍旅に帯びていたと伝えられる石棒が納められている。
なお、宮路に鎮座していた当時、境内には樹齢千年以上といわれていた欅の大木があり、神木とされていたが、境内を移すに当たって伐採され、今はない。(「埼玉の神社」より)


成瀬諏訪神社所蔵の文化財

  • 古帳庵句碑

古帳庵句碑

古帳庵こと本名鈴木金兵衛は、天明元年(一七八いち)、黒岩むら(現越生町大字黒岩)に生まれた。江戸に出て日本橋で古帳類買入所、今日でいう古紙回収業を営み、傍ら家業に因んだ古帳庵の号で俳句を能くし、諸国を行脚した。越生町内の七基をはじめ全国で計十六基の句碑が確認されている。中でも銚子市圓福寺の「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」の句碑は房総地方で、つとに知られている。
苗代やここも越邊(おっぺ)の川つづき 古帳女
此むらの長(おさ)ふる家や高燈籠 古帳庵
古帳庵句碑のうち十三基が、この碑と同様、古帳女との連名である。碑の上部には、子ノ権現と黒岩村五大尊の方角と里程が記してある。石材は根府川石、揮毫は正木龍眠である。
天保十二年(一八四一)建立。(町制施行百周年記念越生町再発見100ポイント掲示より)

成瀬諏訪神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)


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