大宮神社。旧聖天社、越生秋の七草めぐりのススキ
大宮神社の概要
大宮神社は、入間郡越生町上野にある神社です。大宮神社は、文武天皇元年(697)の創建とも、承和3年(836)の創建とも伝えられ、聖天社と称していたといいます。児玉党の遠江守長隆や毛呂土佐守顕季など武家の崇敬を受け、慶安年中(1647-1651) には徳川家光より社領10石の御朱印状を拝領したといいます。明治5年村社に列格、明治40年越生町如意の白坂神社・熊野神社を合祀しています。「越生秋の七草めぐり」のススキです。
社号 | 大宮神社 |
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祭神 | 猿田彦命、天鈿女命 |
相殿 | - |
境内社 | 雷電社、天神社、青木社 |
祭日 | 春季大祭毎年四月第一日曜日 |
住所 | 入間郡越生町上野1732 |
備考 | - |
大宮神社の由緒
大宮神社は、文武天皇元年(697)の創建とも、承和3年(836)の創建とも伝えられ、聖天社と称していたといいます。児玉党の遠江守長隆や毛呂土佐守顕季など武家の崇敬を受け、慶安年中(1647-1651) には徳川家光より社領10石の御朱印状を拝領したといいます。明治5年村社に列格、明治40年越生町如意の白坂神社・熊野神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による大宮神社の由緒
(上野村)
聖天社
祭神は猿田彦命・天津碓目命の二座なり、又五瀬命雷神・嚴嶋明神を配祀す、慶安年中社領十石の御朱印を賜はる、貞和三年九月の鎮座と傳ふれど、慥かならず、唯文亀二年再建の棟札あるを以、古社なることを證すべし、其圖左にのす
旦那代官泉州神馬代官村田大蔵
助左衛門木一本大工三郎
奉再興武州入西郡越生郷上野村聖天宮敬白
新六木綿一反五郎左衛門紙一束
森新右衛門木綿一反
次郎兵衛紙一束
(裏に文亀年辛未四月十九日とあり)
末社。稲荷社、青木明神社、神明社、荒神社。
神主森村飛騨。吉田家の配下なり、先祖を式部と云、大永四年三月八日死せりと、されど家系等は傳へず。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大宮神社の由緒
大宮神社<越生町上野一七三二(上野字宮附)>
上野は越生町の南東端にあり、西の端にある大高取山から台地・低地と東へ下がり、東の端を越辺川が流れる。
『風土記稿』に聖天社とあるのが当社で「祭神は猿田彦命・天津碓目命の二座なり。また、五瀬命・雷神・厳島明神を配祀す、慶安年中社領十石の御朱印を賜はる、承和三年九月の鎮座と伝ふれど、慥かならず。唯文亀二年再建の棟札あるを以、古社なることを證すべし」と載せる。社記に、「古老ノ口碑ニ往古文武元年創立承和三年ニ至リ当時ノ大守再営、應永十癸未年武蔵七党ノウチ児王党遠江守長隆修営、天文六丁酉年十二月一日毛呂土佐守秋季再営、元亀二辛未年四月泉州神馬代官村田大蔵再営、慶安二己丑年八月二十四日三代将軍徳川家光公ヨリ社領高拾石ヲ賜フ」とある。
嘉永六年に火災により本殿を焼失し、現在の一間社流造りの本殿は文久三年の再興である。内陣には歓喜天像一八センチメートルを安置する。
明治五年に村社となり、同四〇年には字白坂の村社白坂神社、同字熊野神社、如意村の村社諏訪神社、同字物夫神社を合祀する。なお戦後旧氏子の希望により諏訪神社・物夫神社は返還された。
旧社家森村家は、寛永六年吉田家の許状を受けてから三九代祀職を務め、大正二年現在の石井家に跡を譲った。森村家に天保から明治期までの祈願名簿があり、俗にいう祈禱神社であったことが知られる。(「埼玉の神社」より)
越生町教育委員会掲示による大宮神社の由緒
当社は文武天皇元年(六九七)創建、承和三年(八三六)の再営と伝えられ、児玉党の遠江守長隆や毛呂土佐守顕季による室町時代の修営、再営の記録がある。祭神は猿田彦命と天鈿女命で、御神体の双身歓喜天(聖天)の木像(町指定文化財)が祀られている。上野聖天社、聖天宮と称していたが、明治二年(一八六九)に大宮神社と改称した。
現本殿は、文久三年(一八六三)、上野村の大工棟梁中嶋久蔵、大谷村(現越生町大谷)の大工棟梁肝煎(脇棟梁)深田定蔵ほか、地元の大工、杣方による再建である。
西面に、「當国熊谷住 彫工 小林斎熊山橘正信」の作銘が刻まれており、「大巳貴命の大鷲退治」「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」「天の岩戸」の胴羽目彫刻は、小林一門の三代目、小林丑五郎によるものと推定されている。(越生町教育委員会掲示より)
境内掲示による大宮神社の由緒
大宮神社の由来
当社は古来文武天皇の文武元年に創立承和三年九月従五位下武蔵介当宗宿禰家主が再建したと伝えられている。祭神には猿田彦命、天津確目命の二座なり、応永十年児玉党遠江守長隆が修営した天文六毛呂土佐守顕家が再営し更に元亀二年辛未(棟札現存)泉州神馬代官村田大蔵再び修営する。
三代将軍家光公より社領捨石の御朱印を続いて代々の将軍より賜る。
森村大和守を始め以来森村一家がこの社を護持していた嘉永六年三月十日延焼文久三年八月再建この本殿は平成十二年町文化財に指定された。
明治四年社領奉還同五年社格御制定の折村社に列せられる。明治四十年越生町如意の白坂神社同所熊野神社を合祀する。
この社の祭神の中には昭和三十年町文化財指定の聖天雙身歓喜天像が祭られている。
毎年春季大祭に桃の弓の歩射を奉納、戦後中止していたが、形を変えて五十年目に小学校入学者の祈願祭として歩射を復活した。(境内掲示より)
大宮神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)