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建康寺。入間郡越生町小杉にある曹洞宗寺院、太田道真・太田道灌父子の居館自得軒地

建康寺の概要

曹洞宗寺院の建康寺は、越生山と号します。建康寺は、太田道真・太田道灌父子の居館自得軒の跡地とされる当地に、太田道灌が主君上杉定正に暗殺された後、太田道灌の菩提を弔うため、太田道真が龍穏寺第三世僧泰叟を開山として創建したのではないかといいます。

建康寺本堂
建康寺の概要
山号 越生山
院号 -
寺号 建康寺
本尊 釋迦牟尼仏像
住所 入間郡越生町小杉461
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



建康寺の縁起

建康寺は、太田道真・太田道灌父子の居館自得軒の跡地とされる当地に、太田道灌が主君上杉定正に暗殺された後、太田道灌の菩提を弔うため、太田道真が龍穏寺第三世僧泰叟を開山として創建したのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による建康寺の縁起

(小杉村)建康寺
越生山と號す、これも龍穏寺の末山にて、則龍穏寺第三世僧泰叟開闢す、是は其頃太田道眞入道が、開基に因て開きし所なりと云、又道眞の子道灌が開基なりとも云、開山泰叟は明應六年十一月四日寂す、よりて思ふに道灌と云は、恐らくは誤にて、道灌滅亡の後父道眞の建立せしならん、本尊地蔵なり。
太子堂。
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

越生町教育委員会掲示による建康寺の縁起

関東管領上杉家一族の扇谷上杉家の家宰として、関東にその名を馳せた名将太田道真は、息子の道灌とともに江戸城、岩付城、河越城を築いたのち、越生に本拠を移した。ここ大字小杉字陣屋付近が、道真の居館自得軒の跡地と推定され、「太田道真退隠地」として埼玉県の旧跡に指定されている。
文明十八年(一四八ろく)六月、道灌は友人万里集九とともに道真を訪れた。万里の詩文集『梅花無尽蔵』に、その折に詠じた次の七絶が収められている。
稀郭公(ほとどきす稀なり)
縦有千声尚合稀(縦へ千声ありと云へども尚合ふは稀なり)
況今一度隔枝飛(況や今一度枝を隔てて飛ぶをや)
誰知残夏似初夏(誰か知らん残夏初夏に似たるを)
細雨山中聴未帰(細雨山中に聴いて未だ帰らず)
翌七月、道灌は相模国糟屋(神奈川県伊勢原市)で主君上杉定正に謀殺され」、自得軒が父子最後の対面の場となった。道真は道灌の菩提を弔うため越生山建康寺を開いたという。
門前に架かる道灌橋の対岸には、道灌が調馬した馬場があったと伝わる。また、堰と導水路の跡が遺る水車「才車」の「才」は城塞(城砦)の塞(砦)に由来するとの説もある。(越生町教育委員会掲示より)


建康寺の周辺図




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