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全洞院。入間郡越生町黒山にある曹洞宗寺院

全洞院の概要

曹洞宗寺院の全洞院は、岩松山と号します。全洞院は、龍穏寺六世喜州善欣(天文5年1536年寂)が開山、洞嶽石瑞が中興したといいます。境内には飯能戦争を戦った旧幕府軍の振武軍の参謀で渋沢栄一の義弟渋沢平九郎の墓があります。武州越生七福神の布袋尊です。

全洞院本堂
全洞院の概要
山号 岩松山
院号 全洞院
寺号 -
本尊 釋迦牟尼仏像
住所 入間郡越生町黒山734
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



全洞院の縁起

全洞院は、龍穏寺六世喜州善欣(天文5年1536年寂)が開山、洞嶽石瑞が中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による全洞院の縁起

(黒山村)全東院
曹洞宗、龍ヶ谷村龍穏寺末、岩松山と號す、開山喜州善欣天文五年九月二十三日示寂せり、本尊は彌陀を安ず。(新編武蔵風土記稿より)

越生町教育委員会掲示による全洞院の縁起

岩松山全洞院は龍ヶ谷の曹洞宗龍穏寺の末寺で、龍穏寺六世喜州善欣が開山、洞嶽石瑞が中興したと言われている。当地黒山は中世以来、修験の先達山本坊の勢力下にあった。全東院、善東院と記される例もあり、元々は山本坊の本坊、熊野神社の東に開かれた修験寺院であったことが想定される。
境内墓地には渋沢平九郎の墓がある。平九郎は慶応四年(一八六八)五月二十三日に起った飯能戦争を戦った旧幕府軍の振武軍の参謀で、敗走の途中、官軍の斥候隊と遭遇して自刃して果てた。ここからほど近い顔振川畔に平九郎が座して割腹した「自刃岩」がある。その首は今市(現越生市街地)に曝され、胴体は全洞院に葬られた。住職は位牌に「大道即了居士 俗名知らず、江戸のお方にて候、黒山村にて討死」と記した。平九郎は旧名尾高昌忠、榛沢郡下手計村(現深谷氏)出身で、同郷の渋沢栄一の義弟である。栄一が渡欧する際に見立養子となって渋沢姓を名乗っていた。享年二十二歳。村人たちは勇壮な最期を遂げた青年を「脱走様」と呼び、命日には空腹を思いやって、墓前にしゃもじを供えて弔った。
なお、本堂の前には、当寺住職を勤めていた、俳人松野自得の「白梅のある夜飛びゆき星となる」の句碑がある。(越生町教育委員会掲示より)


全洞院の周辺図




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