八幡原八幡宮。桶川市川田谷の神社
八幡原八幡宮の概要
八幡原八幡宮は、桶川市川田谷にある神社です。八幡原八幡宮の創建年代等は不詳ながら、扁額に「享保十二丁未年八月十五日」とあることから、少なくとも享保12年(1727)には祀られていたものと考えられます。文久年間(1861-1864)に三州流の花火技法が当地の花火師に伝わり、明治から大正年間にかけて大筒を使った花火が盛んに行われ、戦時中に中断したものの、昭和48年10月の祭礼から復活し、現在も祭礼で花火が打ち上げられています。
社号 | 八幡宮 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭10月 |
住所 | 桶川市川田谷 |
備考 | - |
八幡原八幡宮の由緒
八幡原八幡宮の創建年代等は不詳ながら、扁額に「享保十二丁未年八月十五日」とあることから、少なくとも享保12年(1727)には祀られていたものと考えられます。文久年間(1861-1864)に三州流の花火技法が当地の花火師に伝わり、明治から大正年間にかけて大筒を使った花火が盛んに行われ、戦時中に中断したものの、昭和48年10月の祭礼から復活し、現在も祭礼で花火が打ち上げられています。
新編武蔵風土記稿による八幡原八幡宮の由緒
(川田谷村)
八幡社
近き年村民社邊の地を穿ちしとき、圓徑七八寸許なる瓶二つを堀出せしが、其中に丹の丸せし如きもの納ありしと云、明器の類なるべければ墳墓ならん、村民の持。
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八幡社
泉福寺持、下同じ。 (新編武蔵風土記稿より)
「桶川市史社寺文化財編」による八幡原八幡宮の由緒
八幡社 大字川田谷
祭神 誉田別尊
概要 神殿は高さ、間口ともにほぼ二間の大きなもので御神体には神鏡をおき、その奥に御幣、さらにその奥に騎乗の八幡神を安置する。八幡神は木造、彩色像で、衣冠束帯姿で白馬にまたがり弓を持つ。彩色は金泥を使用し比較的新しいものと思われる。鳥居に掲げられる八幡宮の篇額は『享保十二丁未年八月十五日』とあり、さらに『安政六己未年十一月再建』とある。
社殿軒下に、朽ちかけたケヤキ製の煙花尺玉筒が保管されている。八幡原花火連盛んなりし頃のものである。(「桶川市史社寺文化財編」より)
「埼玉の神社」による八幡原八幡宮の由緒
非法人のため記載なし(「埼玉の神社」より)
八幡原八幡宮所蔵の文化財
- 花火師の村八幡原
花火師の村八幡原
現在の桶川市大字八幡原は花火師のいた村であり、この花火は明治、大正頃には大変有名であったという。
この花火は、文久年間(一八六一〜六四)に三河(現在の愛知県)より、三州流の技法が伝わったという。その頃、明治十年代にさまざまな改良がなされ、当時の資料として「花火法控」、「花火法立帳」、「烟火調合記」などの書物が地元に残されている。これらの資料によると、流星文法、網火文法、吹上紅葉文法など四十九種類の花火があったことがわかる。この花火が盛んであった当時の打ち上げに使った大筒が八幡宮の境内に残されている。
明治以降も豊作の年などに村の若衆によって打上げられていた花火も、戦争中に火薬取締法などで中断してしまったが、昭和四十八年十月の八幡宮の祭礼で復活し、現在に至っている。(埼玉県・桶川市掲示より)
八幡原八幡宮の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)