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三田原氷川神社。桶川市川田谷の神社

三田原氷川神社の概要

三田原氷川神社は、桶川市川田谷にある神社です。三田原氷川神社の創建年代などは不詳ながら、寛文8年(1668)の宗源宣旨が当社内陣に残されていることから、江戸時代初期にはすでに祀られていたといいます。明治維新後には無格社となったものの、昭和4年村社に列格、また年不詳ながら八幡神社・八坂社を合祀したといいます。

三田原氷川神社
三田原氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 八幡神社、八坂社
祭日 春大祭3月15日、秋大祭10月15日
住所 桶川市川田谷2082
備考 -



三田原氷川神社の由緒

三田原氷川神社の創建年代などは不詳ながら、寛文8年(1668)の宗源宣旨が当社内陣に残されていることから、江戸時代初期にはすでに祀られていたといいます。明治維新後には無格社となったものの、昭和4年村社に列格、また年不詳ながら八幡神社・八坂社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による三田原氷川神社の由緒

(川田谷村)氷川社
一は竹内にあり、一は三田原村にあり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三田原氷川神社の由緒

氷川神社<桶川市川田谷二〇八二(川田谷字泉野)>
川田谷は、荒川左岸の自然堤防上に位置する村で、南北朝期から見える河田郷に比定されている。早くから開けた地であったためか、元禄七年(一六九四)の「桶川町助郷帳」(須田家文書)では上川田谷村と下川田谷村とに分けて記され、化政期(一八〇四-三〇)には既に全体で家数五〇〇戸に達している。当社は下川田谷の鎮守である。
古い川田谷村の項には「氷川社 一は竹内にあり、一は三田原村にあり」と二社の氷川社が記されているが、当社はそのうち「三田原村にあり」とされている方の神社である。創建の時期は不明であるが、内陣には寛文八年(一六六八)の宗源宣旨があり、江戸時代の早い時期に正一位の神階を受けていたことがわかり、当社は既にこのころには相当の信仰を集めていたものと推測される。また、このほかに文政十三年(一八三〇)の墨書のある神璽筥と像高三七センチメートルの氷川大明神像、更に石棒などを納めた木箱が納められている。
明治維新を迎え、社格制定に際しては無格社とされたが、規模も大きく、信仰も厚かったため、昇格の申請がなされ、昭和四年十二月二十七日に村社に列した。また、年代は分からないが、八幡神社と八坂社の二社を合祀して境内社とした。境内社は、かつて一社ずつ現在の幟竿置場の辺りに並んでいたが、昭和二十八年ごろ合殿にまとめられた。(「埼玉の神社」より)


三田原氷川神社所蔵の文化財

  • 氷川神社の簓獅子舞

氷川神社の簓獅子舞

氷川神社の簓獅子舞は、毎年十月上旬から中旬に行われる祭礼において奉納されている。この獅子舞は別名三田原の簓獅子舞といわれており、この三田原とは三ツ木、田向、柏原の各字を総称した呼び名で、この三つの字の人々によって伝承されている。
この獅子舞の始められた年代は不明であるが、地元に伝わる由来記には、江戸時代の元禄年間(一六八八~一七〇四)以降に盛んになったと記されている。本来この獅子舞は、柏原の八幡神社において、旧暦八月十五日にその氏子によって奉納されていたものであるが、その後八幡神社が氷川神社に合祀されたこともあり、現在の日時に行われるようになったという。
舞は全部で十二の場からなり、旧村内の㐂(七が三つ)倉堂から行列を組んで、舞の庭に舞い込み、四隅に立つ花笠の中で、宰領とよばれる道化と女獅子、法眼、後獅子の三頭の獅子によって舞われる。その内容は、女獅子をめぐって、法眼と後獅子がいさかい、また和解するといった展開である。
現在、この簓獅子舞は、後継者も多く、また舞の型のくずれも少なく、桶川市における貴重な民俗芸能の一つである。(埼玉県・桶川市掲示より)

三田原氷川神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)