本学院。桶川市坂田にある本山修験宗寺院
本学院の概要
本山修験宗寺院の本学院は、斎藤山と号します。本学院の創建年代等は不詳ながら、寛永年間(1624-1645)に比企郡から当地へ移転、明治維新に際して修験宗が廃宗となり天台宗に属することになったものの、戦後に本山修験宗が改めて復興した際に本山修験宗に改めたといいます。
山号 | 斎藤山 |
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院号 | 本学院 |
寺号 | - |
住所 | 桶川市坂田1590 |
宗派 | 本山修験宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本学院の縁起
本学院の創建年代等は不詳ながら、寛永年間(1624-1645)に比企郡から当地へ移転、明治維新に際して修験宗が廃宗となり天台宗に属することになったものの、戦後に本山修験宗が改めて復興した際に本山修験宗に改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による本学院の縁起
(坂田村)本覺院
本山修験、南下谷村大行院配下、斎藤山と號す、寛永中比企郡より當所へ移り、其比除地を賜はりしと、斎藤山と云は恐らく斎藤氏なるもの修験となりしものならん、
稲荷社、八幡社、若宮、太田明神社。(新編武蔵風土記稿より)
「桶川市史第七巻社寺文化財編」神社寺院明細帳による本学院の縁起
本学院
埼玉県下武蔵国北足立郡坂田村字細谷
滋賀県近江国滋賀郡別所村園城寺末
天台宗寺門派 本学院
一、本尊 不動明王
一、由緒 不詳
一、本堂 間口弐間半 奥行四間 旧本堂前面ニ間口五間半、奥行四間増築ニ依リ、新ニ二十二坪ヲ増シ、総建坪三十二坪トナル、大正十一年一月十日出願許可、大正十二年一月七日竣工
一、境内 四百八拾七坪
一、境内仏堂 弐宇
祖師堂 本尊神変大菩薩 由緒不詳 堂間口五尺奥行五尺
荼枳尼堂 本尊荼枳尼天 由緒不詳 堂間口四尺奥行五尺
一、檀徒 七人
一、管轄庁迄 四里三拾丁
以上(「桶川市史第七巻社寺文化財編」神社寺院明細帳より)
本学院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」