千手堂春日神社。比企郡嵐山町千手堂の神社
千手堂春日神社の概要
千手堂春日神社は、比企郡嵐山町千手堂にある神社です。千手堂春日神社の創建年代等は不詳ながら、千手堂村が村として成立して以来鎮守として祀られてきたといいます。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 天津児屋根命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社 |
祭日 | 例大祭月日、秋祭り10月17日 |
住所 | 比企郡嵐山町千手堂585 |
備考 | - |
千手堂春日神社の由緒
千手堂春日神社の創建年代等は不詳ながら、千手堂村が村として成立して以来鎮守として祀られてきたといいます。
新編武蔵風土記稿による千手堂春日神社の由緒
(千手堂村)
春日社
村の鎮守なり、村持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による千手堂春日神社の由緒
春日神社<嵐山町千手堂(千手堂字明神前)>
天津児屋根命を杷る当社は、千手堂の中央部よりやや北西に離れた所に位置する大平山の麓に鎮座している。参道及び社殿の周囲は、欝蒼とした山林に包まれており、かつては社殿の裏手に、古くから神木とされてきた大きな杉があったが、昭和四十二年に台風で倒れてしまい、現在は切株にその名残をとどめるだけである。
『風土記稿』千手堂村の項に「春日社 村の鎮守なり、村持」とあるように、当社は創建こそ不明であるが、村の開発以来、鎮守として奉斎されてきた。また、『明細帳』には「宝暦三年(一七五三)三月本社再建」とあるが、その出典となった記録はわからない。当時は古い棟札が残っていたものであろうか。大正十三年四月には、皇太子殿下(後の昭和天皇)御成婚記念として春日造りの本殿が建設された。
これに伴い、従来の本殿(面積六坪、茅葺きであった)は拝殿に転用されていたが、老朽化のため取り壊され、現在の拝殿が再建された。
拝殿再建の契機となったのは、同町菅谷にあった千手堂地区四三人の共有地(食料生産青年部農場共同桑園)が市街化区域に指定されたり、養蚕の衰退を理由に売却されるに至ったことで、土地の所有者たちは、共有地を失う代わりに拝殿の建設を発願し、売却益の一部を拝殿再建資金として拠出し、これに大字内外から多数の浄財を得て着工し、昭和六十三年の秋祭りに落成の式典を挙行することができた。(「埼玉の神社」より)
千手堂春日神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)