杉山八宮神社。比企郡嵐山町杉山の神社
杉山八宮神社の概要
杉山八宮神社は、比企郡嵐山町杉山にある神社です。杉山八宮神社の創建年代等は不詳ながら、聖武天皇の御代(724-748)の創建と伝えられ、平将門の乱鎮圧のため当地に出陣した経基王は当地に朝敵征討・疫病消除を祈願、霊験あらたかだったことから八宮神社と号して、当地一帯に八宮神社を分祀したと伝えています。江戸期には杉山村の鎮守として祀られていました。
社号 | 八宮神社 |
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祭神 | 建速須佐之男命・大己責命・稲田比責命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 春祭り4月3日、例大祭10月17日 |
住所 | 比企郡嵐山町杉山671 |
備考 | - |
杉山八宮神社の由緒
杉山八宮神社の創建年代等は不詳ながら、聖武天皇の御代(724-748)の創建と伝えられ、平将門の乱鎮圧のため当地に出陣した経基王は当地に朝敵征討・疫病消除を祈願、霊験あらたかだったことから八宮神社と号して、当地一帯に八宮神社を分祀したと伝えています。江戸期には杉山村の鎮守として祀られていました。
新編武蔵風土記稿による杉山八宮神社の由緒
(杉山村)
八宮社
村の鎮守なり、相傳ふ古は八王子權現を勧請せし社なりしが、何の頃にや八宮明神に改號ありしと云、
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天神社
稲荷社
以上三社共に、大蔵院持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による杉山八宮神社の由緒
八宮神社<嵐山町杉山六七一(杉山字清明)>
当社は、小高い山の頂に鎮まる。その西方にはかつて鎌倉街道上道が走り、南西方向約一キロメートルの所には、鎌倉期の武将金子十郎家忠の居城と伝え、戦国期には松山城主上田案独斎の家臣杉山主水が居城したという杉山城祉がある。
社伝によると、当社は第四十五代聖武天皇の御代(七二四-四八)の勧請である。天慶二年(九三九)には、平将門の乱を鎮静のため当地の旧城に出陣した経基王が、朝敵征討・疫病消除を当社に祈願したところ霊験あらたかであったので、社殿を修繕し、四方四種の村落に分祀して八宮神社と号し、法施として仁王会六万部を行った。当社南西の六万部塚・六万部坂の地名は、これにちなむものであるという。
最も古い史料としては明和四年(一七六七) の本殿造営棟札がある。これには「大蔵院法印全廓代 村中氏子中」「大里郡川原明戸村棟梁飯田甚八郎清忠 弟子新分一平八」の墨書が見える。次いで文政二年(一八一九)の覆屋再建棟札があり、「当村領主森川氏家運長久」「別当杉山大蔵院法印春応代」と見える。両棟札に見える「大蔵院」は本山派の修験で、境内にその裔の杉山宝斎による寺子屋指南の業績をたたえて建立された頌徳碑がある。一方、『風土記稿』は「八宮社 村の鎮守なり、相伝ふ古は八王子権現を勧請せし社なりしが、何の頃にや八宮明神に改号ありしと云」と載せる。(「埼玉の神社」より)
杉山八宮神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)