千手堂の道しるべ。比企郡嵐山町千手堂にある旧跡・名所

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千手堂の道しるべ。江戸期高札場だった地・大正期に設置された道標

千手堂の道しるべの概要

千手堂の道しるべは、比企郡嵐山町千手堂にある名所旧跡です。千手堂の道しるべは、大正8年に造立された道標で、日本橋・及び宇都宮(陸軍宇都宮第十四師団)への距離が刻まれています。宇都宮第十四師団への距離が刻まれたのは、当地方の兵役者は宇都宮に入隊したからだといいます。当地は江戸期には道と道が行き交う辻で、村の中央にあたることから、高札場が置かれていた地で、道標以外に、馬頭観音塔・地蔵尊や元享3年(1323)銘の板石塔婆が安置されています。

千手堂の道しるべ
千手堂の道しるべの概要
旧跡・名所名 千手堂の道しるべ
区分 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 比企郡嵐山町千手堂
備考 -




千手堂の道しるべの縁起

千手堂の道しるべは、大正8年に造立された道標で、日本橋・及び宇都宮(陸軍宇都宮第十四師団)への距離が刻まれています。宇都宮第十四師団への距離が刻まれたのは、当地方の兵役者は宇都宮に入隊したからだといいます。当地は江戸期には道と道が行き交う辻で、村の中央にあたることから、高札場が置かれていた地で、道標以外に、馬頭観音塔・地蔵尊や元享3年(1323)銘の板石塔婆が安置されています。

境内掲示による千手堂の道しるべについて

道しるべ
ここは道の交差する四辻で、こうした所に道しるべが建てられた。
ここはまた江戸時代には高札場であった。
高札とは、江戸時代幕府や藩のお觸れを板に書いたもので、それを掲げたのが高札場である。
ここに四角柱で、やや上部がとがった道しるべがある。建てられたのは大正八年(一九一九年)これには『距日本橋元標東京市十六里・距第十四師団宇都宮市三十三里』などと刻まれている。
当時この地方の者が兵役に服するには、宇都宮第十四師団に入隊したという。
その後に馬頭観音と地蔵様が建てられ、この地蔵様には、時々赤い前だれがかけられている。
また、地蔵様のわきには板石塔婆があり、元享三年(一三二三年)の銘と一対の花瓶が刻まれている。
上部は欠損しているが、阿弥陀三尊である。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による千手堂の道しるべについて

(千手堂村)
高札場
村の中程にあり、(新編武蔵風土記稿より)


千手堂の道しるべの周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」