志賀一区の庚申供養塔。庚申年の元文5年に造立された庚申塔
志賀一区の庚申供養塔の概要
志賀一区の庚申供養塔は、比企郡嵐山町志賀にある名所旧跡です。志賀一区の庚申供養塔は、元文5年(1740)に志賀村下宿の村民たちが造立した庚申塔です。江戸時代、庚申待(60日毎の庚申日に集まり、寝ずに夜明けまで過ごす行事)を営んでいた村人達が、60年毎に巡ってくる庚申の年にあたる元文5年(庚申年)に造立したものです。
旧跡・名所名 | 志賀一区の庚申供養塔 |
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区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 比企郡嵐山町志賀 |
備考 | - |
志賀一区の庚申供養塔の縁起
志賀一区の庚申供養塔は、元文5年(1740)に志賀村下宿の村民たちが造立した庚申塔です。江戸時代、庚申待(60日毎の庚申日に集まり、寝ずに夜明けまで過ごす行事)を営んでいた村人達が、60年毎に巡ってくる庚申の年にあたる元文5年(庚申年)に造立したものです。
境内掲示による志賀一区の庚申供養塔について
庚申供養塔
今から二八一年前の元文五(一七四〇)年の秋、徳川吉宗の時代の直後に、武蔵国志賀村下宿(しもじゅく)の百姓たちが、庚申様の石仏(石塔)を建てました。庚申様は、インドの猿の神様が中国を経て日本に渡来した民間信仰です。鎌倉時代、猿は馬の守り神で、武士の館に飼われていました。村人は庚申様を供養して五穀豊穣などを祈願し、「お日待」をして親睦を深めました。
元文五庚申十一月吉祥日
武州志賀村下宿講中
令和三(二〇二一)年三月二八日修復 志賀一区(境内掲示より)
志賀一区の庚申供養塔の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」