廣正寺。地頭高木甚左衛門正綱が中興
廣正寺の概要
曹洞宗寺院の廣正寺は、高木山と号します。廣正寺は、龍穏寺第4世天庵が草創、萬福寺と号していたといいます。天正18年(1590)に小田原北條氏に代わって徳川家康が関東に入国、当地の地頭となった地頭高木甚左衛門正綱が、慶長11年(1606)に逝去した父筑後守廣正(萬福院殿大翁秀椿居士)の菩提を弔うため、永福寺の僧起山を中興開山に迎えて中興開基、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領20石の御朱印状を受領していました。
山号 | 高木山 |
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院号 | - |
寺号 | 廣正寺 |
本尊 | 釋迦牟尼佛像 |
住所 | 比企郡嵐山町広野359 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
廣正寺の縁起
廣正寺は、龍穏寺第4世天庵が草創、萬福寺と号していたといいます。天正18年(1590)に小田原北條氏に代わって徳川家康が関東に入国、当地の地頭となった地頭高木甚左衛門正綱が、慶長11年(1606)に逝去した父筑後守廣正(萬福院殿大翁秀椿居士)の菩提を弔うため、永福寺の僧起山を中興開山に迎えて中興開基、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領20石の御朱印状を受領していました。
新編武蔵風土記稿による廣正寺の縁起
(広野村)
廣正寺
曹洞宗、郡中市の川村永福寺末、高木山と云、慶安二年寺領二十石の御朱印を賜へり、當山は入間郡龍ヶ谷村龍穏寺、四世の住僧天庵の草創にして、元は萬福寺と號せしを、當所の地頭高木甚左衛門正綱、其父筑後守廣正の追福のため、永福寺の僧起山を請て中興し、父の實名をもて寺號とし、中興開基とせり、廣正は慶長十一年七月二十六日卒す、法名萬福院殿大翁秀椿居士と云、正綱は寛永九年十一月十日卒す、廣正寺性空道把居士と謚せり、中興開山起山元和六年十一月十二日化す、本尊彌陀を安ず、小野篁の作と云、
鐘樓。享保年中に、鑄たる鐘を掛く、(新編武蔵風土記稿より)
廣正寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿