赤尾白山神社。坂戸市赤尾の神社
赤尾白山神社の概要
赤尾白山神社は、坂戸市赤尾にある神社です。赤尾白山神社の創建年代等は不詳ながら、文亀年間(1501-1504)の創建と伝えられ、江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し、明治5年村社に列格していました。現在は赤尾の弾正組・新田組・中組が氏子区域となっています。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 菊理媛命・伊奘諾尊・伊奘冉尊 |
相殿 | - |
境内社 | 愛宕神社、九頭竜祠、一目連祠、白山祠、九頭竜祠、(赤尾八坂神社) |
祭日 | 春祭4月17日、秋祭10月16日 |
住所 | 坂戸市赤尾1668 |
備考 | - |
赤尾白山神社の由緒
赤尾白山神社の創建年代等は不詳ながら、文亀年間(1501-1504)の創建と伝えられ、江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し、明治5年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による赤尾白山神社の由緒
(赤尾村)
白山社
村の鎮守なり、本地佛は十一面観音にて銅の華曼に彫たる物なり、村内修験明王院の持。 (新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による赤尾白山神社の由緒
白山神社<坂戸市赤尾一六六八(赤尾字雲谷)>
当社は都幾川の合流する越辺川の南岸に鎮まる。村は低地のため古くから水害に見舞われ、社の壁面には水害の痕跡も残されている。
創立について社記は文亀年間と伝え、『風土記稿』によると村の鎮守であり、本地仏は十一面観音を彫った銅の華鬘であった。ただしこれは現存していない。
祭神は、菊理媛命・伊奘諾尊・伊奘冉尊の三柱である。
別当は修験明王院であったが、これは本山派修験か当山派修験か明らかでない。しかし、村内にあって村人のために諸祈禱を修していたことは伝えられている。
また、社記に「元禄水帳ニハ白山社免除地二反六畝壱歩福寿院支配」とあり、明和五年から白山諏訪明王供米として米七斗を領主から賜っている。これは天保年間からは米七升五合になり、明治四年まで続けられたとあるが、福寿院および諏訪明王について、現在では明らかにできない。
本殿は一間社流造りである。覆屋及び拝殿の造営年代は安政五年と言われ往時幣殿はなく土間に踏み石を置いた形であった。
明治初めの神仏分離により別当は廃され、明治五年には古くから村鎮守であったことにより村社となった。(「埼玉の神社」より)
赤尾白山神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)