赤尾金山彦神社。坂戸市赤尾の神社

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赤尾金山彦神社。坂戸市赤尾の神社

赤尾金山彦神社の概要

赤尾金山彦神社は、坂戸市赤尾にある神社です。赤尾金山彦神社の創建年代等は不詳ながら、赤山が開村した南北朝時代に鎮守として勧請したと伝えられます。寛延年間(1748-1751)の洪水により社殿、由緒書など悉く流失してしまったものの、古くから鎮守として祀られてきたことから、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、昭和34年の越辺川河川改修に際して鎮座地が堤塘敷となったことから、当地へ遷座しています。

赤尾金山彦神社
赤尾金山彦神社の概要
社号 金山彦神社
祭神 金山彦命
相殿 -
境内社 御嶽神社
祭日 春祭り4月9日、秋祭り8月27日
住所 坂戸市赤尾1867
備考 -



赤尾金山彦神社の由緒

赤尾金山彦神社の創建年代等は不詳ながら、赤山が開村した南北朝時代に鎮守として勧請したと伝えられます。寛延年間(1748-1751)の洪水により社殿、由緒書など悉く流失してしまったものの、古くから鎮守として祀られてきたことから、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、昭和34年の越辺川河川改修に際して鎮座地が堤塘敷となったことから、当地へ遷座しています。

新編武蔵風土記稿による赤尾金山彦神社の由緒

(赤尾村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による赤尾金山彦神社の由緒

金山彦神社<坂戸市赤尾一八六七(赤尾字本村)>
当社は入間郡の北端、越辺川流域の低湿地に位置する農業地帯である赤尾に鎮座し、金山彦命を祀る。
その創建については、寛延年間の洪水により、社殿とともに由緒書など、ことごとくを流失してしまったため明らかではないが、氏子の間では、南北朝時代に赤尾開村の折、鎮守として勧請したもので、それゆえ鎮座地の地名を本村と呼ぶのだといわれている。
江戸時代においては、領主より毎年供米一俵を賜っていたが、明治維新により廃止された。明治五年には、古くから鎮守として祀られていることから村社となる。下って、同二二年一月五日、本殿・拝殿とともに焼失したため、氏子二〇戸が力を合わせて、同二七年四月二七日に新築落成した。現在、内陣には、この時に納められた木綿の布に包まれた神璽筥がある。
赤尾は、川沿いの低地であるため、往古より「蛙の小便で水が出る」といわれるほど、度々水害を被り、家屋や田畑が流出した。そこで、水害を防ぐため、昭和三四年に越辺川の河川改修が行われることとなったが、この際、当社の境内地が堤塘敷となることになった。このため、字本村から字川久保の現在の鎮座地へ遷宮が行われ、また、これを機に社殿も新築された。
なお、本殿は神明造りで、明治二七年に造営されたものである。(「埼玉の神社」より)


赤尾金山彦神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)