土屋神社。帆立貝式古墳上に鎮座、旧村社
土屋神社の概要
土屋神社は、坂戸市浅羽野にある神社です。土屋神社の創建年代等は不詳ながら、昔からある古木に囲まれた帆立貝式古墳に対して畏敬の念を感じ、村鎮守として小祠を建てたのではないかといいます。

社号 | 土屋神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、天満宮、神明社 |
祭日 | - |
住所 | 坂戸市浅羽野2-2-11 |
備考 | - |
土屋神社の由緒
土屋神社の創建年代等は不詳ながら、昔からある古木に囲まれた帆立貝式古墳に対して畏敬の念を感じ、村鎮守として小祠を建てたのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による土屋神社の由緒
(上淺羽村)
土屋権現社
高さ一丈五尺許、四方七八間の塚の南面を深さ八尺程、高さ七尺程、洞の如くに穿ち、三方は石を壘で垣とし、屋の裏には長さ一丈許、文字をも失へる古碑を東西に渡し、茅を以て覆屋を設く、内に丈二尺七八寸なる恵美須の如き坐像のさまを、石にて作れるものを神體として置こは何等の神にて何の頃鎮座せしや、土屋の神號も詳ならず、されど此塚上に淺間の小祠を置、傍に凡六圍の老杉一樹あり、塚のさまは疑ふべきもなき古墳なれば、昔ここを領せし淺羽氏の墳にて彼神體は時の領主を石像とせしにや、又土屋某なんと云る人領せしこと有て、其人の石像を安じ、土屋の神號を加へしや或は土を穿てかかる屋を設けたれば、それらの名によるにや、すべて土人の傳へを失ひたれば、今よりはそれと定むべからず、村内大蔵院の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による土屋神社の由緒
土屋神社<坂戸市浅羽五五九(浅羽字宮裏)>
当社は七世紀初頭に当地の土豪を埋葬したものと思われる帆立貝式の古墳上に鎮座しており、社名の「土屋」は、古墳内に石室があることによる。
石室は本殿真下にあり中に石像がある。この石像は冠を着け合掌した座像で、高さが一・七メートルほどある。石室天井部石版には「武州入間郡浅羽郷別當大蔵院 奉修覆土屋大権現御寳前敬白 寛永四年丁亥九月一五日信州石屋藤沢忠兵衛」とあるが、これは前年に起こった大地震のために崩れた石室を修理したもので、石室内の神像はこの時修理に使用した石材と同様のものを使用していることから、忠兵衛が大蔵院の命を受けて土屋に坐す神として鑿をふるったものであろう。
社の創建については、村人が昔からある古木に囲まれた塚に対して畏敬の念を感じ、村鎮守として小祠を建てたのに始まると思われるが、そのほかにも、本山派修験山本坊配下大蔵院が当社の別当として、信仰的にも影響を与えていると考えられる。これは本社の土屋権現社よりも末社浅間社の信仰に端的に表れ、塚上にある社を浅間山に見立てて盛んに加持祈祷を行った。また、古墳を修理した時代には浅間山・富士山の噴火が続き、関東一円に多くの灰を降らせている。このことを考え併せると、塚上にあった社と修験者の活動は無関係とは思われないものがある。(「埼玉の神社」より)
土屋神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)