戸宮八幡神社。戸宮村の開村と同時に創建
戸宮八幡神社の概要
戸宮八幡神社は、坂戸市戸宮にある神社です。戸宮八幡神社の創建年代等は不詳ながら、戸宮村の開村と同時に村の鎮守として創建したのではないかといいます。明治5年に村社となり、明治43年大字大塚野新田に鎮座していた字八幡裏の村社八幡神社、字御嶽の御嶽神社の二社を合祀しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 天御中主大神 |
相殿 | 応仁天皇 |
境内社 | - |
祭日 | 例祭10月1日、秋祭り11月23日 |
住所 | 坂戸市戸宮60戸宮東集会所隣 |
備考 | - |
戸宮八幡神社の由緒
戸宮八幡神社の創建年代等は不詳ながら、戸宮村の開村と同時に村の鎮守として創建したのではないかといいます。明治5年に村社となり、明治43年大字大塚野新田に鎮座していた字八幡裏の村社八幡神社、字御嶽の御嶽神社の二社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による戸宮八幡神社の由緒
(戸宮村)
八幡社
村の鎮守なり、例祭八月十五日、村持。
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(大塚野新田)
八幡社
村の鎮守なり、例祭八月十五日、村持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による戸宮八幡神社の由緒
八幡神社<坂戸市戸宮六〇(戸宮字屋原)>
戸宮は、坂戸市の南東部に位置する農業地域である。『風土記稿』によれば、本は富屋と書いたが、いつのころか戸宮の文字になったという。
当社は、この戸宮の鎮守として、開村と時を同じくして勧請されたと伝えられ、応仁天皇と天御中主大神を祀る。
社殿によると、永承七年二月一五日の再建というが、現存する棟札は、天保一二年・嘉永七年・安政四年の三枚だけで、残念ながら永承のものは失われてしまっている。
明治五年に村社となり、同四三年には、大字大塚野新田から字八幡裏の村社八幡神社、字御嶽の御嶽神社の二社を合祀した。なお大塚野新田は八戸しかない小さな村で、昭和一五年に陸軍坂戸飛行場用地として、村全域が買収され、住民はことごとく代替地の鶴ケ島村脚折の一天狗地区に移住し、これを機に新しく神社を奉斎している。ちなみに、戦後、坂戸飛行場は廃止され、工業団地となっている。
本殿は一間社流造りで、内陣には幣束が納められている。境内には、様々な記念碑が立ち並び、社殿を取り囲むように杉・松・檜の混淆林がある。(「埼玉の神社」より)
坂戸市掲示による戸宮八幡神社の由緒
当社の祭神は天御中主大神であり、鎮座年代は不詳であるが、往古より一村一社の鎮守として創立され、永承七年(一〇五二年)二月十五日に社殿が再建されたと伝えられ、明治五年村社となった。明治四十三年、大塚野新田に鎮座した八幡神社、御嶽神社を合祀し、現在に至っている。
またこの地には、昭和五十一年一月二十九日坂戸市の無形民俗文化財に指定された獅子舞が伝えられている。
詳しい記録はないが、元治阿使用中の道具や古老の口伝えによれば、徳川中期頃から一村融和団結のシンボルとして華麗な装束によって行われたが、最近、時代とともにやや簡素化されたという。しかし獅子舞そのものの演技は、古い伝統をよく守って独特な強度芸能として保存されている。
毎年十月一日が例祭、一月一日が元朝祭、二月二十五日が春祭り、十一月二十三日が秋祭りである。
獅子舞の実演は、毎年十月一日の例祭当日午後二時頃から社前で行われる。(坂戸市掲示より)
戸宮八幡神社所蔵の文化財
- 戸宮の獅子舞(坂戸市指定無形民俗文化財)
戸宮の獅子舞
秋になると豊年を祝う獅子舞が、市内の各地で行われます。竹で作った「ささら」と呼ばれる楽器を使って獅子舞を踊るので、「ささら舞」とも言われ、昔から地元の人々によって受継がれてきました。
戸宮の獅子舞は、江戸時代に八幡神社のお祭りに演じられたのが始まりと言われています。
戸宮の獅子舞は、江戸時代に五穀豊穣を祈って八幡神社の例祭に奉納されるようになったと言われています。例祭は以前、十月一日でしたが、現在は十月の第三土曜日になりました。
獅子舞の演者は、高張・天狗・花笠・笛吹き・仲立・雌獅子・中獅子・大獅子・唄うたいで、演目は「竿がかり」・「新ささら」・「角平」の三曲です。例祭の当日は、集会場で準備を整え、ほら貝の三つの合図で行列を組み、笛、太鼓をならしながら八幡神社に向かいます。この行列を「道中ささら」と呼びます。八幡神社の前で、獅子舞を奉納して、戸宮の地区内をゆっくり舞いながら集会場へともどります。夜、ふたたび集会場の庭で、獅子舞が行われます。
獅子舞は、笛・唄・ささらに合わせて、太鼓をたたきながら踊ります。舞の内容は、仲立の先導で、大獅子と中獅子が花笠に隠れた雌獅子を探すというもので、神話を題材にしています。(坂戸市教育委員会掲示より)
戸宮八幡神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)