上新田日枝神社。鶴ヶ島市上新田の神社

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上新田日枝神社。鶴ヶ島市上新田の神社

上新田日枝神社の概要

上新田日枝神社は、鶴ヶ島市上新田にある神社です。上新田日枝神社の創建年代等は不詳ながら、中世には上新田村に大六道と称する集落があったといい、中世に創建したのではないかといいます。中世から江戸期を通じて村の鎮守として崇敬され、明治維新後には村社に指定されていたといいます。

上新田日枝神社
上新田日枝神社の概要
社号 日枝神社
祭神 大山咋命
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 お九日9月14・15日
住所 鶴ヶ島市上新田104
備考 -



上新田日枝神社の由緒

上新田日枝神社の創建年代等は不詳ながら、中世には上新田村に大六道と称する集落があったといい、中世に創建したのではないかといいます。中世から江戸期を通じて村の鎮守として崇敬され、明治維新後には村社に指定されていたといいます。

新編武蔵風土記稿による上新田日枝神社の由緒

(上新田村)山王社
村の鎮守にて、例祭は九月廿九日、村持なり、社地に槻數株あり、其大なるもの圍一丈九尺許。
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」による上新田日枝神社の由緒

創立年紀は不詳である。当社の鎮座地は、元々は上新田村の西端の山王前にあったが、明治四年九月に現在地に遷座した。遷座に際しては、本殿に担ぎ棒をつけて氏子が力を合わせ神輿のように運んだという。『風土記稿』によると、山王前の境内地には槻が数株あり、大きなものは周囲一丈九尺もあったという。上新田村は中世には大六道と称する集落があったところで、創立はその当時にさかのぽると思われる。高倉の日枝神社もこの社を勧請したものといわれる。(「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」より)

「埼玉の神社」による上新田日枝神社の由緒

日枝神社<鶴ケ島町上新田一〇四(上新田字会立東)>
当地は初め高倉村に属していたが、明暦二年の検地水帳に「武州高麗郡高倉内上新田開検地水帳」とあることから、このころ開発された村であることがわかる。また、当地は水田に適さず畑作地として耕作され、時折襲う日照りに村人の苦労は多かった。
当社の創立も村の開発とほぼ同じころと思われ、近江一の宮の日吉大社より勧請したものである。日吉大社は、古事記の大年神の系譜に「次に大山咋神、亦名は山末之大主神、此神は近淡海国の日枝山に坐す。」とあるように、古くは日枝山に鎮まる山神であった。山神は生活を支配する神で、水ともかかわりを持ち雷神としての性格もあったと考えられ、当地において、このような神威を持つ神を勧請したことは、干損地で生活する村人の切実な祈りがあったことがうかがえる。
鎮座地は初め村の西に当たる字山王前で、村鎮守として古くは例祭を九月二九日と定めていた。また、境内には槻が数株あり、大きなものは周囲一丈九尺もあったと伝える。
明治四年九月、当社は山王前から現在地に遷座し、同五年に村社となった。移転理由は、鎮座地が氏子居住地からやや離れているため祭祀に不便を感じたからと伝えている。なお、遷座に際しては、本殿に担ぎ棒を付けて氏子が力を合わせ神輿のように運んだという。(「埼玉の神社」より)


上新田日枝神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」
  • 「埼玉の神社」