才道木日光街道道しるべ。鶴ヶ島市脚折にある旧跡・名所

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才道木日光街道道しるべ。日光脇往還と越生道の交差点

才道木日光街道道しるべの概要

才道木日光街道道しるべは、鶴ヶ島市脚折にある名所旧跡です。才道木日光街道道しるべは、日光脇往還(八王子と日光を結ぶ)と越生道(川越と越生を結ぶ)の交差点に、文政4年(1821)に設置された道しるべです。

才道木日光街道道しるべ
才道木日光街道道しるべの概要
旧跡・名所名 才道木日光街道道しるべ
区分 市指定有形文化財
入場時間 -
入場料 -
住所 鶴ヶ島市脚折
備考 -




才道木日光街道道しるべの縁起

才道木日光街道道しるべは、日光脇往還(八王子と日光を結ぶ)と越生道(川越と越生を結ぶ)の交差点に、文政4年(1821)に設置された道しるべです。

掲示板による才道木日光街道道しるべについて

才道木日光街道道しるべ
この道しるべは、江戸時代の八王子と日光、川越と越生を結ぶ重要な街道が交わった場所にあります。形は角形の石柱で、大きさは高さ七十三センチ、幅二十三・五センチ、厚さ十五センチ、刻まれた干支から文政四年(一八二一)のものであることがわかります。
道しるべの各面には、「北 日光 坂戸」、「東 江戸 川越」、「南 八王子 高萩」、「西 慈光 越生」と刻まれています。南北は、この道が八王子から高萩(日高市)、坂戸を経て日光へ通じる日光街道であったことを表しています。日光街道は、江戸時代、日光火の番の任に就くため、八王子に住んでいた千人同心(八王子千人同心)が、八王子と日光の往来のために使った街道で、「日光脇往還」「千人同心街道」等とも呼ばれています。また、東西は川越街道(越生道とも呼ばれた)であったことを示し、東は川越を経て江戸へ通じ、西は、越生を経て古刹慈光寺(ときがわ町)へ通じることを表しています。
この道しるべは、貴重な文化遺産として約二十五メートル程北の場所で大切に保存されてきましたが、平成十八年三月移設されました。(鶴ヶ島市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による才道木日光街道道しるべについて

(臑折村)
村の中程を南より北への一路あり、南の方三ツ木村より来りて當村にかゝること凡十町許にして、北の方入間郡下淺羽村に達す、道幅三間より四間に至る、これはあ地王子より日光へ通ふ街道なり、また村の南の方を東西する一路あり、東は藤金村より来り、當村を經ること二町許にして、西の方高倉村に達す、道幅三間に餘れり、これは川越より越生への街道なり、(新編武蔵風土記稿より)


才道木日光街道道しるべの周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」