三寶山長福寺。坂戸市紺屋にある真言宗智山派寺院
長福寺の概要
真言宗智山派寺院の長福寺は、三寶山と号します。長福寺は、第一傳燈阿闍梨隆範師が宝永2年(1705)に創建、弘化3年(1847)の火災により焼失、その後も数次の水害を被っているといいます。中武蔵七十二薬師17番、武州八十八所霊場62番です。
山号 | 三寶山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 坂戸市紺屋892 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、第一傳燈阿闍梨隆範師が宝永2年(1705)に創建、弘化3年(1847)の火災により焼失、その後も数次の水害を被っているといいます。
新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起
(紺屋村)
長福寺
新義眞言宗、三寶山實蔵院と號す、石井村大智寺末、本尊は大日なり。
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観音堂
愛宕七所明神合祀社
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薬師堂二宇
一は長福寺持、一は村持なり。
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神明社
長福寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による長福寺の縁起
三寶山長福寺本堂落慶記念碑
當山は第一傳燈阿闍梨隆範師により宝永二乙酉年に建立され爾後造弟隆興師が法流開基中興の祖となる。当時は近傍稀に見る名刹伽藍とし、本堂庫裡・観音堂の他、愛宕七所明神の社ありと誇られたが「弘化三年三月十八日前の村の失火起こり折しも南風甚しく火焔田甫を飛び越えて飛び来たり忽ち当寺前方の地蔵堂に燃え更に観音堂・本堂等総ての建物烏有に帰す云々」と時の焼跡が境内に二百有余年を経た老木(柿の木)に残る。現在山内には大日如来の他、不動明王・両祖大師・薬師・観音各尊像の他神明社を祀る。當山は開山以来現在四十三世に至る。
當山は水害等の罹災頻々と近世では明治四十三年八月八日・大正三年八月十三日・昭和十六年七月十日更に二十二年九月十日等何れも床上二尺~二尺五寸余りの水位の大洪水を罹り、被害は甚大を極めた。
當寺は不動産保有寺として、田畑・山林原野等六町歩余りを有したが、農地解放により今は山林のみ僅かに残る現状である。(境内石碑より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」