三光花影薬師堂。淺羽左近将監某の守り本尊花陰薬師
三光花影薬師堂の概要
三光花影薬師堂は、坂戸市三光町にある薬師堂です。三光花影薬師堂の創建年代等は不詳ながら、(花陰薬師と呼ばれる)淺羽左近将監某の守り本尊を腹籠りにした薬師如来像を祀る薬師堂として建立、江戸時代中期の元禄14(1701)年ころまでは堂庵だったものが、新編武蔵風土記稿が編纂された江戸時代後期には花陰山薬師寺と号した寺院となっていたといいます。その後廃寺となり、薬師堂となっていました。中武蔵七十二薬師9番です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 坂戸市三光町6-7・三光花影集会所 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
三光花影薬師堂の縁起
三光花影薬師堂の創建年代等は不詳ながら、(花陰薬師と呼ばれる)淺羽左近将監某の守り本尊を腹籠りにした薬師如来像を祀る薬師堂として建立、江戸時代中期の元禄14(1701)年ころまでは堂庵だったものが、新編武蔵風土記稿が編纂された江戸時代後期には花陰山薬師寺と号した寺院となっていたといいます。その後廃寺となり、薬師堂となっていました。
新編武蔵風土記稿による三光花影薬師堂の縁起
(下淺羽村附新田)
薬師寺
花陰山と號す、眞言宗新義、石井村大智寺の末、本尊薬師の腹籠に、淺羽左近将監某が守り本尊とて、花陰薬師と云る小塚を納めたれど、秘佛なればとて見ることを許さず、花陰と云来由は詳ならず、されど當村元禄十四年の水帳に、堂地四段七畝九歩堂守常圓と記したれば、この頃までは僅か薬師堂にて、いささかの堂なりしと見ゆれば、此後一寺となりしものならんか。(新編武蔵風土記稿より)
「入間郡誌」による三光花影薬師堂の縁起
薬師寺跡
大智寺末、本尊は淺羽左近将監の守本尊なりしと云ふ。今は廢寺たり。(「入間郡誌」より)
三光花影薬師堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」