神明神社(藤沢)。正徳年中に藤原正如が勧請、上藤沢の鎮守
神明神社(藤沢)の概要
神明神社(藤沢)は、入間市上藤沢にある神明神社(藤沢)です。神明神社(藤沢)は、正徳年中(1711-1716)に藤原正如が勧請したものと伝えられ、藤沢村のうち上藤沢の鎮守だったといいます。明治5年村社となり、明治44年中藤沢の春日神社、その境内社を合祀しています。
社号 | 神明神社 |
---|---|
祭神 | 天照大神 |
相殿 | 太玉命、天児屋根命 |
境内社 | 稲荷神社、三峰社 |
祭日 | 例大祭(天王社)海の日 |
住所 | 入間市上藤沢642 |
備考 | 旧村社 |
神明神社(藤沢)の由緒
神明神社(藤沢)は、正徳年中(1711-1716)に藤原正如が勧請したものと伝えられ、藤沢村のうち上藤沢の鎮守だったといいます。明治5年村社となり、明治44年中藤沢の春日神社、その境内社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による神明神社(藤沢)の由緒
(藤澤村附新田)
神明社
上中兩村の鎮守なり、村持
春日社
中村の鎮守なり、神主を澤田隼人といふ、下村に住せり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による神明神社(藤沢)の由緒
藤沢村は江戸期には上・中・下村としてあり、それぞれに鎮守様として神明・春日・熊野社がありましたが天保年間に上・下村に分村したと思われます。社記によると「確たる文献は存ぜざるも正徳年中藤原正如勧請せるもののごとし、而して現氏子関谷芳雄氏の祖某勧請の砌社地として四畝歩を寄付しもって部落民崇敬し来れるものなり」とあり。明治五年に産土神であることから村社となり、同四十四年中村の鎮守春日神社を合祀する。春日神社の跡地は「大明神」と呼ばれ飛び地境内となっている。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による神明神社(藤沢)の由緒
神明神社
入間市上藤沢は、不老川流域の台地及び丘陵にある。地名は不老川流域に葛や藤が多く自生していることによるという。
藤沢村は江戸期に見える村名で、『風土記稿』によると村民は上・中・下と三分して私称し、総鎮守は下村にある朱印八石を有する熊野社、上・中両村の鎮守は神明社、中村の鎮守は春日社であった。天保年間以降に上藤沢村・下藤沢村に分村したものと思われる。
由緒は社記によると「確タル文献ハ存ゼザルモ正徳年中藤原正如勧請セルモノノ如シ、而シテ現産子関谷芳雄氏ノ祖某勧請ノ砌社地トシテ四畝歩ヲ寄附シ以テ部落民崇敬シ来レルモノナリ」とあり、その詳細については十分なる史料を欠き明らかにできない。
明治五年に旧来から産土神であることから村社となり、同四四年には中村の鎮守春日神社、並びに、同境内社の稲荷神社を合祀する。春日神社の旧社地(山林約一二三六平方メートル)は「大明神」と呼ばれ、現在は飛び地境内地となっている。
本殿は神明造りで、主祭神は天照大神・太玉命である。境内社は八坂神社・稲荷神社の二社がある。(「埼玉の神社」より)
神明神社(藤沢)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿