山祇神社(花ノ木)。入間市花ノ木の神社
山祇神社(花ノ木)の概要
山祇神社(花ノ木)は、入間市花ノ木にある山祇神社(花ノ木)です。山祇神社(花ノ木)の創建年代等は不詳ながら、花木村は少なくとも天正年間(1573-1593)には既に成立しており、当地の村人に山仕事をするものが多かったため、山の神を祀ったといいます。
社号 | 山祇神社 |
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祭神 | 大山祇命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭 |
住所 | 入間市花ノ木16 |
備考 | - |
山祇神社(花ノ木)の由緒
山祇神社(花ノ木)の創建年代等は不詳ながら、花木村は少なくとも天正年間(1573-1593)には既に成立しており、当地の村人に山仕事をするものが多かったため、山の神を祀ったといいます。
新編武蔵風土記稿による山祇神社(花ノ木)の由緒
(花木村)
山神社
當村の鎮守なり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による山祇神社(花ノ木)の由緒
山祇神社<入間市花ノ木一六(花ノ木字大門東)>
当地は、霞川左岸に河川と平行する形で東西に伸びる長い丘陵地に位置する。集落はこの丘陵地の麓、すなわち、「やまっこし」といわれる所に点在し、御嶽道がこの中を縫うように通っている。また、花の木の地名は、口碑によると、昔、村に桜の大木があり、春になると美しく咲いた花の下で村人が酒盛りをしたので名付けられたという。
創建については、往時、当地の村人に山仕事をするものが多かったため、安全を願い、社を建立して山の神を祀ったと伝え、祭神に、大山祇命を祀る。
造営については、棟札が現存し、これには「寛政十一年九月十九日奉再建山神宮一社」とある。現在の社殿は、一間社流造りで、内陣に白幣を祀っている。
また、当社は、江戸期、山祇大明神と号し、当山派の修験が神事法楽を行っていた。なお、現存する祭礼文書には、元治元年九月の「神祇祭禮寄進帳」「神事入用帳」「鎮守祭禮諸入用帳」などがある。
明治二年八月、神仏分離により、当地の重立ちが韮山県に提出した復飾願いによると、幕末から当社の神事を行っていた当山派修験大乗院鍰栄は復飾して、神山柳栄と名乗り社務を務めることとなったことが知られる。(「埼玉の神社」より)
山祇神社(花ノ木)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿