白鬚神社(根岸)。狭山市根岸の神社
白鬚神社(根岸)の概要
白鬚神社(根岸)は、狭山市根岸にある白鬚神社(根岸)です。白鬚神社(根岸)の創建年代等は不詳ながら、旧別当寺の明光寺は応和2年(962)の開山で、古くは当社と並んで建てられていたと伝えられることから、その守護神として祀られたのではないかといいます。江戸期を通して根岸村の村社として崇敬され、明治5年村社に列格、明治25年に竈三柱大明神を合祀しています。
社号 | 白鬚神社 |
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祭神 | 猿田彦命 |
相殿 | 火産霊命・奥都彦命・奥都姫命 |
境内社 | 水富神社 |
住所 | 狭山市根岸2-25-23 |
祭日 | - |
備考 | - |
白鬚神社(根岸)の由緒
白鬚神社(根岸)の創建年代等は不詳ながら、旧別当寺の明光寺は応和2年(962)の開山で、古くは当社と並んで建てられていたと伝えられることから、その守護神として祀られたのではないかといいます。江戸期を通して根岸村の村社として崇敬され、明治5年村社に列格、明治25年に竈三柱大明神を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による白鬚神社(根岸)の由緒
(根岸村)
白髭社
村の鎮守なり、例祭九月十九日、明光寺持なり。
荒神社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による白鬚神社(根岸)の由緒
白髭神社(狭山市根岸一)根岸字根本
当社の鎮座する根岸は、入間川の北岸に位置する。根岸の地名は、川岸の台地の縁辺を意味し、口碑に、当地の田畑は河原のような土地から石を取り除いて開墾したものという。
『風土記稿』は、「村内に八王子より日光山へ往還の宿駅村に係ること十町許、道幅凡五間、民家三十三、道の左右に軒をならべて住せり」と、宿場としてにぎわった当時の様子を紹介し、当社についても「村の鎮守なり、例祭九月十九日、明光寺持なり」と載せている。
当社の創建を伝える資料は何も残っていないが、『明細帳』に、「大永二壬午年本社拝殿ヲ再営セシト云伝フ、其古帳簿今尚存セリ」とあり、室町時代の後期には既に勧請されていたことをうかがわせる。
また、別当であった真言宗明光寺は、応和二年(九六二)の開山で、古くは当社と並んで建てられていたと伝えるところから、あるいは、同寺の守護神として当社が勧請されたのではないかとも考えられる。
本殿は一間社流造りで、猿田彦命を祀る。明治五年に村社となり、同二五年に、火産霊命・奥都彦命・奥都姫命の三柱を祀る竈三柱大明神を村内から合祀している。
なお、当社はかつて水富小学校の裏手に鎮座していたが、校舎増設の際、参道が校地の一部となったため、昭和四三年、現在の地に遷座し、旧地にはこれを記念して石碑を建てている。(「埼玉の神社」より)
白鬚神社所蔵の文化財
- 旧水富村役場跡
旧水富村役場跡
ここは、旧水富村の役場跡である。
明治二十二年(一八八九)市制・町村制の施行により、笹井村・根岸村・上広瀬村・下広瀬村の四か村が合併し、水富村が誕生した。
村政を行う役場は木造瓦葺き二階建てで、一階は事務室、二階は村議会の議場であった。
昭和二十九年(一九五四)七月一日、入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村と合併し、狭山市となり水富村役場としての使命を終えた。(狭山市掲示より)
白鬚神社(根岸)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿