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白鬚神社(笹井)。狭山市笹井の神社

白鬚神社(笹井)の概要

白鬚神社(笹井)は、狭山市笹井にある白鬚神社(笹井)です。白鬚神社(笹井)の創建年代等は不詳ながら、別当寺だった笹井観音堂が役小角により大同2年(807)の創建と伝えられ、当社もほぼ同時期に祀られたのではないかといいます。江戸期を通して笹井(篠井)村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格、明治20年には土屋某の屋敷鎮守稲荷社を合祀したといいます。

白鬚神社(笹井)
白鬚神社(笹井)の概要
社号 白鬚神社
祭神 猿田彦命
相殿 火産霊命・奥都彦命・奥都姫命
境内社 稲荷神社
住所 狭山市笹井2-25-23
祭日 -
備考 -



白鬚神社(笹井)の由緒

白鬚神社(笹井)の創建年代等は不詳ながら、別当寺だった笹井観音堂が役小角により大同2年(807)の創建と伝えられ、当社もほぼ同時期に祀られたのではないかといいます。江戸期を通して笹井(篠井)村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格、明治20年には土屋某の屋敷鎮守稲荷社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による白鬚神社(笹井)の由緒

(篠井村)
白髭社
村の鎮守なり、永禄年中の勧請なりと云、観音堂持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による白鬚神社(笹井)の由緒

白髭神社<狭山市笹井一九六二(笹井字沢口)>
当地は、『風土記稿』 に 「陸田水田多し、用水には入間川を堰入るれば水便よしと云ヘビも、入間川盗るゝ時は害あり」と載る。
口碑によると、五〇〇年ほど前に入間川の流れが南に変わり、集落も川寄りに移動したが、この時、観音堂と一緒にあった鎮守も南に移ったという。これを裏付けるように『風土記稿』は「滝 滝ケ谷にあり、滝壷凡二間四方滝口に不動あり下流五六尺、この滝の辺観音堂の旧蹟なり」と記す。また、観音堂縁起に「かたはらに高麗社(当社旧称と伝える)あり」と残している。
当地は、地内に縄文中期の宮地遺跡があり、観音堂は開創を役小角とするなど、古い土地で、口碑による草分けは観音堂の別当職篠井家といわれる。当社の古称である高麗社は、高麗郡の設置とかかわるものと思われ、社記の「当社往古ヨリ一村中ノ氏神トツタへ」はこれを語るものであろう。社記はこれに続き「文明十九年聖護院准后ノ宮回国ノ節本村本山修験観音堂滞在中本社再建御拝礼アリテ神体ヲ奉納」とある。
明治五年に村社となり、同二〇年には甲州より隠れ住んだ土屋某の屋敷鎮守稲荷社を境内へ合祀する。
本殿前には奏上門と呼ぶ神門があり、かつてはここで祝詞を奏上したという。これには昭和二〇年五月二六日の空襲による焼痕が残る。(「埼玉の神社」より)


白鬚神社所蔵の文化財

  • 笹井豊年足踊り(狭山市指定無形文化財)

笹井豊年足踊り

笹井の白髭神社では毎年四月と十月の第三日曜日に、「笹井豊年足踊り」が奉納されます。以前は四月十五日と十月十六日でしたが、神社の祭典の日が変更されたため、日曜日に行うようになりました。
この足踊りは笹井囃子の演目の一つで、土地の先人桜井藤太郎が、日夜苦心を重ねてあみだしたものといわれています。当初は三味線のリズムにのせて踊っていたといわれていますが、いつのころからか囃子に合わせて踊るようになりました。足踊りは一人の演者があお向けになって両足を高くあげ、左足の甲にヒョットコの面、すねには男物の衣装をつけ、右足の甲にはオカメの面、すねには女物の衣装をつけて笛、太鼓、鉦に合わせ、男女のさまざまな踊りのしぐさを演技します。動作は独特なもので、特に両手で扇や日傘をあやつるさまは見事なものです。
春四月は農作物の豊作を祈願し、秋十月には豊年を祝って奉納されることから「豊年足踊り」と呼ばれるようになりました。(狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より)

白鬚神社(笹井)の周辺図




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