諏訪神社(入間川)。藤原正如が正徳年中に勧請
諏訪神社(入間川)の概要
諏訪神社(入間川)は、狭山市入間川にある諏訪神社(入間川)です。諏訪神社(入間川)は、正徳年中(1711-1716)に藤原正如が勧請したものと伝えられ、入間川村のうち入間川の鎮守だったといいます。明治5年村社となり、明治44年中入間川の春日神社、その境内社を合祀しています。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 狭山市入間川4-2-41 |
祭日 | - |
備考 | - |
諏訪神社(入間川)の由緒
諏訪神社(入間川)は、正徳年中(1711-1716)に藤原正如が勧請したものと伝えられ、入間川村のうち入間川の鎮守だったといいます。明治5年村社となり、明治44年中入間川の春日神社、その境内社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による諏訪神社(入間川)の由緒
(入間川村附新田)諏訪社
以上の四社(八幡神社、牛頭天王社、八幡神社及び当社)は成圓寺の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による諏訪神社(入間川)の由緒
諏訪神社(狭山市入間川四-二-四一)入間川字ソ
当社は入間川右岸の河岸段丘上に鎮座している。社の西側、つまり、入間川寄りは、ハケと称する窪地になっており、現在は住宅が建てられているが、古く、ここはお諏訪様の池と呼ばれ、清水が湧き出ていた。また、近くには今でも泉の湧いている所が二カ所ほどあり、もとは飲料水に利用されていた。更に、当社周辺に家を構える人々が使用している井戸は深さ一二、三尺の浅い所から水が出るといわれ、当地が水の便のよい地であることを示している。以上のことから、当社の創建についても、段丘のハケから湧き出る水と、これを利用する村人の生活と深い関係があると思われる。
この、お諏訪様の池に住む竜神の話がある。溝、村人が畑仕事を終え、池のそぼを通りかかるとにわかに水が吹き上がり、竜神が狂ったように悶え苦しんでいた。これを見た村人は、たまたま手に持っていたナスを竜神に与えたところ、竜神の苦しみはたちまち和らいだという。以来、竜神はこれを感謝し、村人が病に苦しまぬように守護することを誓った。そのため、村では毎年夏になると竜神にナスを山のように供え、このうちのいくつかを受けて帰る習わしになったと伝え、このナスを食べると一年間無病息災であるといわれている。(「埼玉の神社」より)
諏訪神社(入間川)所蔵の文化財
- お諏訪さまのなすとっかえ(狭山市指定無形民俗文化財)
お諏訪さまのなすとっかえ
諏訪神社は、長野県の諏訪大社を分祀したもので、祭神は「建御名方神」です。
なすとっかえは、自分の畑で採れたナスを神社に納める代わりに、神前に供えてあるナスを戴いて帰るもので、毎年八月の第四土曜・日曜に行われる神事です。その由来には次の伝説が残されています。
昔、諏訪神社の裏に底なし沼があったころ、ある日村人達がそこを通りかかると、沼から水しぶきがたち、龍神が暴れ始めました。驚いた村人達は、持っていた鎌や鍬と一緒に、採ったばかりのナスが入った籠を投げ出して逃げ帰りました。これを聞いた村の若者達が駆けつけてみたところ、空っぽになった籠が浮かんでいるだけで、沼はすでに元の静けさをとり戻していました。しばらく後、村人の夢枕に龍神が現われこう言いました。「私はあの沼に住む龍神だが、騒がせて悪かった。実は夏病に苦しめられていたのだが、投げられたナスを食べたところ病がすっかり治った。これからは諏訪の大神に仕え、村のために尽くすつもりだ。」
こうして夏病にナスが効くことを知った村人は、神前にナスを供え、代わりに龍神からナスをいただき、夏病を避けたといわれています。(狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より)
諏訪神社(入間川)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿