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城山砦跡。狭山市柏原にある旧跡・名所

城山砦跡の概要

城山砦跡は、狭山市柏原にある名所旧跡です。城山砦跡は、入間川の河岸段丘上に築かれた砦跡で、後北条氏に川越城を奪われた山内上杉憲政が、川越城を奪還しようと川越を包囲した際に陣を敷いた地とされています。城山砦跡は、本郭と二ノ郭から構成され、かつては崖下に入間川が流れていたといいます。また、当地二ノ郭付近には古塚があったと新編武蔵風土記稿では伝えています。

城山砦跡
城山砦跡の概要
旧跡・名所名 城山砦跡
みどころ 旧跡
入場時間 -
入場料 -
住所 狭山市柏原2346
備考 -




城山砦跡の縁起

城山砦跡は、入間川の河岸段丘上に築かれた砦跡で、後北条氏に川越城を奪われた山内上杉憲政が、川越城を奪還しようと川越を包囲した際に陣を敷いた地とされています。城山砦跡は、本郭と二ノ郭から構成され、かつては崖下に入間川が流れていたといいます。

境内掲示による城山砦跡について

城山砦跡
城山砦跡は、江戸時代後期の書物の『新編武蔵風土記稿』によると、天文年間に山内上杉憲政が、後北条氏に奪われた川越城を奪還すべく包囲した際にここに陣を敷いたとされており、江戸時代後期には「上杉砦」と呼ばれ、既に四段程の遺構しか残っていない、と書かれています。
現存する面積は約七〇〇〇㎡で、入間台地のやや舌状の部分にあたり、沖積面から約十m上の河岸段丘に、東から本郭、二ノ郭と造られています。本郭は崖面以外を高さ約三mの土塁で囲われ、その外側には現存する深さが約三mの空堀があります。また、その更に外側に、高さ約一mの土塁上の高みが今でも確認できます。二ノ郭は、土塁の残存と考えられる高みの上に、現在は稲荷社が祀られています。西側には深さ約一mの堀が残っており、狭いながらも郭を構成していたことがわかります。
平成十年度に本郭周囲のほ場整備に伴って発掘調査が行われ、最も外側の土塁状の高みの外に、更に深さ三m程の堀が検出されました。堀の底や壁には、堀を掘ったときについたと考えられる鍬の痕も残っていたため、砦は、造られて間もなく放棄された可能性が出てきました。検出された堀は保存するために埋め戻され、現在は道路になっています。
平成十八年度に、学術調査のために行われた本郭の内側の空堀の調査では、現況より更に約二m深く掘られている形跡が確認されました。また、深い堀が崩れないように押さえるための修復したような跡も検出されました。
さらに、平成二十二年度の小口部分の確認調査では、中世のカワラケ(小皿)の小破片が出土しています。(狭山市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による城山砦跡について

(柏原村)砦跡
上宿の東南にあり、天文十二年十月廿七日兩上杉この所に出張して、北條氏康と夜軍ありし所なりと云、土人これを上杉城跡と稱す、按るに川越夜軍の年月區々の説あり、或天文七年七月十五日、或は十一年七月十五日、或廿年とも云、櫓臺の跡と云る、脇に鷲の宮稲荷の小祠あり、城地も南の方は大抵崩崖となりて、今僅に存せり、古は城下を入間川流れしよし、今は川瀬遥に南の方に廻流して、崖下は水田となれり、城地と思はしき所は凡十四五町もあらん、なれども遺構はわづかに四段許なり。(新編武蔵風土記稿より)


城山砦跡の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」