明王寺。金子十郎家忠の守護仏と伝わる不動明王
明王寺の概要
天台宗本山派寺院の明王寺は、威徳山と号します。明王寺の創建年代等は不詳ながら、金子十郎家忠の守護仏といわれる不動明王を本尊とする不動堂として多くの崇敬を受けたといいます。
山号 | 威徳山 |
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院号 | - |
寺号 | 明王寺 |
住所 | 入間市小谷田 |
宗派 | 天台宗本山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
明王寺の縁起
明王寺の創建年代等は不詳ながら、金子十郎家忠の守護仏といわれる不動明王を本尊とする不動堂として多くの崇敬を受けたといいます。
新編武蔵風土記稿による明王寺の縁起
(小谷田村附新田)不動堂
本尊不動は立像にて、長四尺許、智證大師の作なり、相傳ふ金子十郎家忠の守本尊にて、家忠戦場にのぞみて敵に圍れし時、此不動を念じければ、敵自ら裏崩して圍解け、危き所を免かれぬ、去れば家忠益信仰の思をなし、武運擁護の佛とす、今に毎年二月廿八日は参詣の人殊に群がれりと云、別當威徳山明王寺は本山修験、高麗郡篠井村観音堂の配下なり。(新編武蔵風土記稿より)
明王寺所蔵の文化財
- 明王寺の鰐口(入間市指定有形文化財)
- 明王寺の「献春の部発句」俳句額(入間市指定有形文化財)
明王寺の鰐口
小谷田の明王寺は、威徳山と号し天台宗本山派に属す修験道(山伏の寺)で、金子十郎家忠の守護仏といわれる不動明王(秘仏)を本尊としている。明王寺の鰐口は、直径三三cm、厚さ十一cm、元和四年(一六一八)の銘があり市内で二番目に古いものである。銘文にある五味氏は江戸時代初期の小谷田村の領主で、備前守豊直の遺徳をしのんだ梵鐘が当地の東光寺に奉納されている(市指定文化財)。金拾郎政重はこの小谷田村領主五味備前守豊直の一族と考えられる。
<銘文>
奉寄進 武州入東郡小谷田郷不動之鰐口
元和四年戊午六月吉日
施主五味金拾郎政重啓白(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)
明王寺の「献春の部発句」俳句額
俳句の奉納額とは、絵馬と同様に多くは社寺に奉納され、神仏へ作品を捧げるとともに、参拝の人々へ作品を見せるためのものである。寛政八年(一七九六)二月二八日の紀年銘があるこの俳句額は、市内で二番目に古いもので、市内における俳諧活動隆盛の先駆けを示すものである。
額には、芭蕉俳諧の精神を受け継ぐ江戸蕉門の一人、加舎白雄の春秋庵門下生の俳人たちを中心に、十八句が記されている。前段には扇町屋や黒須、根岸など市域及び近在の俳人たちが名を連ね、後段には関東・甲信地方を中心に広がる白雄門下の句を配している。
この額は、当時、日光脇往還の宿継場であった扇町屋とその周辺で、富裕な商人や上層農民たちが蕉風俳諧に親しんでいたことや、市内の俳人達と各地の春秋庵連中との交流を示す貴重な資料である。((入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)
明王寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿