谷塚氷川神社。草加市谷塚町の神社
谷塚氷川神社の概要
谷塚氷川神社は、草加市谷塚町にある氷川神社です。谷塚氷川神社の創建年代は不詳ですが、正保から元禄の間に下谷塚から中谷塚が分村の際に上谷塚から氷川社を鎮守として譲り受けたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年下谷塚村・中谷塚村にあったすべての神社を合祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 天照大御神、素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、八幡神社、三峰神社、雷電社 |
祭日 | - |
住所 | 草加市谷塚町901 |
備考 | 旧村社 |
谷塚氷川神社の由緒
谷塚氷川神社の創建年代は不詳ですが、正保から元禄の間に下谷塚から中谷塚が分村の際に上谷塚から氷川社を鎮守として譲り受けたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年下谷塚村・中谷塚村にあったすべての神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による谷塚氷川神社の由緒
(下谷塚村)氷川社
村内の鎮守とす
末社。第六天稲荷疱瘡合社。
別当慈眼寺
新義真言宗、入谷村圓通寺門徒、氷川山と號す、本尊大日なり。
天神社
慈眼寺持。
稲荷社
新福寺持。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による谷塚氷川神社の由緒
氷川神社
草加市谷塚町901(下谷塚町字西地総田)
下谷塚村は毛長川左岸の沖積地に位置し、古くは谷古田領に属していた。かつてこの辺りは方形周溝墓や富貴塚といった古墳が散在しており、地名の起こりも、こうした塚が八つあったことから、八塚と呼ぶようになり、その後現在の谷塚に改められたともいわれている。
谷塚は正保期(一六四四ー四八)には上・下二村であったが、元禄期(一六八八〜一七〇四)に上・中・下の三村に分村している。この谷塚が当初上・下に分村した時期は定かではないが、「風土記稿」上谷塚の項に「西の宮 爰にもと氷川社ありし故此名あり、其社は今中谷塚村に鎮座す」とあり、これに見える「西の宮」の地名は、谷塚村が一村であった当時、村の東に位置する当社に対して西方の地に、その分霊を祀ったことに由来すると考えられる。下谷塚は日光街道に面し、古くからの家も多く、したがって下谷塚の辺りが谷塚村の中でも本村であったと推測され、当社の創建も中世にまでさかのぼることは想像に難くない。恐らく、正保から元禄の間に下谷塚から中谷塚が分村の際に上谷塚から氷川社を鎮守として譲り受けたものと考えられる。なお、上には鎮守として神明社(上谷塚神明神社)があった。また、当社は明治期以前に上谷塚の稲荷社を合祀し、明治六年に村社に列せられ、同四十年には中・下谷塚村にあったすべての神社を合祀し、谷塚の総社的な性格の神社となった。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
境内掲示による谷塚氷川神社の由緒
当社は天保年間(約三百二十年前)に建立され流れ造りの建物であります。
古来から願い事をかなえる神様として信仰のあつい神社です。(境内掲示より)
谷塚氷川神社の周辺図