林神社。田中七郎左衛門が八幡神を奉斎、後重殿権現社(尉殿権現)
林神社の概要
林神社は、所沢市林にある八幡神社です。林神社の創建年代等は不詳ながら、武田信玄一族の田中七郎左衛門が当地に来て天文年間に八幡神を創建、当地の代官今井氏の寄進(小字重殿原)により承応三年(1654)再建、寛文8年(1668)天之御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊を祀り、重殿権現社(尉殿権現)として崇めたといいます。明治維新後、十代神社と改称、明治五年村社に列格、 明治40年には字甲下ノ原の山祇神社・字愛宕前の稲荷神社の二社を本殿内に合祀、村名をとって林神社と改称したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 彦火々出見尊、天之御中主尊、高皇彦霊尊、木花咲耶姫命、倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 所沢市林1-383 |
備考 | - |
林神社の由緒
林神社の創建年代等は不詳ながら、武田信玄一族の田中七郎左衛門が当地に来て天文年間に八幡神を創建、当地の代官今井氏の寄進(小字重殿原)により承応三年(1654)再建、寛文8年(1668)天之御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊を祀り、重殿権現社(尉殿権現)として崇めたといいます。明治維新後、十代神社と改称、明治五年村社に列格、 明治40年には字甲下ノ原の山祇神社・字愛宕前の稲荷神社の二社を本殿内に合祀、村名をとって林神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による林神社の由緒
(林村)重殿社
村の鎮守なり、重殿権現と號す、瓊々杵尊を祀と云、此社恐くは尉殿なるべし、村民の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による林神社の由緒
八幡神社<所沢市林一-三八三(林字重殿原)>
林の地名は、武蔵野の林が続く地であることによるという。
当社は、『風土記稿』に「村の鎮守なり重殿権現と号す瓊々杵尊を祀と云、此社おそらくは尉殿なるべし村民の持」とあり、古くは重殿神社と号していた。一方、『明細帳』は祭神を彦火瓊々杵尊・彦火々出見尊の二柱として、「当社天正年間創立シタル由承応三甲午年再営ノ棟札二記アリ」と載せている。
更に神社所蔵の文書によると、武田信玄の一族の田中七郎左衛門という者が当地に来て天文年間に創建し、承応三年当地の代官今井氏が神社の周りの土地九段七畝を寄進した。これが現在の小字重殿原であり、寛文八年村民全戸協力して天之御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊を祀り、重殿権現社として崇めたとある。明治初めの神仏分離の折、重殿の名を改めて十代神社とし、明治五年村社となった。
明治四〇年六月二八日には字甲下ノ原の山祇神社(祭神大山祇神・木花開耶姫命)・字愛宕前の稲荷神社(祭神倉稲魂命)の二社を本殿内に合祀し、村名をとって林神社と改称した。
本殿は昔ながらのもので、流造り向拝付、欅材で周囲に美しい彫刻を施している。昭和三九年に拝殿を再建し、草葺きを瓦葺きとする。
飛び地境内にある末社八坂社は本社から約一.五キロメートル離れた所にあり、疫病除けの神様として信仰を集めている。(「埼玉の神社」より)
林神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)