日比田氷川神社。天正8年に村の鎮守として創建
日比田氷川神社の概要
日比田氷川神社は、所沢市日比田にある氷川神社です。日比田氷川神社は、日比田を開発した人々が天正8年(1580)に村の鎮守として創建したといいます。明治5年村社に列格、明治40年字向山の稲荷神社を合祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞鳴命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
祭日 | - |
住所 | 所沢市日比田338 |
備考 | - |
日比田氷川神社の由緒
日比田氷川神社は、日比田を開発した人々が天正8年(1580)に村の鎮守として創建したといいます。明治5年村社に列格、明治40年字向山の稲荷神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による日比田氷川神社の由緒
(日比田村)氷川社
除地、一段二畝十二歩、西の方にあり、村の鎮守なり、社は三尺四方上屋二間四方、南向にて熊野権現を合せまつれり、村民の持なり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による日比田氷川神社の由緒
氷川神社<所沢市日比田字西原三三八(日比田字上ノ原)>
『風土記稿』多摩郡の項に「日比田村は郡の北方にてこの郡をはなれ、入間郡の中につつまれたり(中略)其ゆへんは彼郡に荒地ありしを、郡内の民たまたま行て開きしかば、己が居る所の郡名をとなへしより、いつしかかくなりしことにや」とあり、当村と村名が入り交じったという、入間郡大岱村に「日比田を昆田と誤り訛って大岱となる」記事があり、当時の開発や村名の由来などが知られる。
当社の創立を、社伝は天正八年三月としているが、このころ当地が開発され、多摩郡昆田の鎮守を勧請したと考えられる。
『風土記稿』に当社は「氷川社 除地、一段二畝十二歩、西の方にあり、村の鎮守なり、社は三尺四方上屋二間四方、南向にて、熊野権現を合わせまつれり、村民の持なり」と載る。また、現本殿の棟札の表面には「奉造立氷川大明神・熊野大権現氏子繁昌」裏面には「武州多摩郡日肥田村・宝暦四甲戌歳三月吉日・大工大和田町長吉」とある。
社前の手水鉢には「安政弐乙卯年三月吉日・武州多摩郡日比田村氏子中」の銘があり、また石鳥居の銘文に「文久二年五月吉辰・当所氏子中」と見える。以上から推察して、当社は長く村の鎮守として栄えたものとみられる。明治五年に村社となり、同四〇年六月には、同字向山から稲荷神社を境内へ末社として合祀した。(「埼玉の神社」より)
日比田氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)