所沢金山神社。所沢市金山町の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

所沢金山神社。斉藤主計之佐信廣が奈良県談山神社を勧請

所沢金山神社の概要

所沢金山神社は、所沢市金山町にある神社です。所沢金山神社は、川越城の夜戦に参戦して敗れた斉藤四郎右衛門尉利長が当地に土着、その長男斉藤主計之佐信廣が、先祖の神霊が鎮座する談山神社を勧請して弘治3年(1557)に金山権現として祀ったといいます。

所沢金山神社
所沢金山神社の概要
社号 金山神社
祭神 藤原鎌足公、金山毘古神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 所沢市金山町12
備考 -



所沢金山神社の由緒

所沢金山神社は、川越城の夜戦に参戦して敗れた斉藤四郎右衛門尉利長が当地に土着、その長男斉藤主計之佐信廣が、先祖の神霊が鎮座する談山神社を勧請して弘治3年(1557)に金山権現として祀ったといいます。

境内掲示による所沢金山神社の由緒

世に言う川越城の夜戦(一五四六)の折斉藤四郎右衛門尉利長は上杉勢として参戦し北条軍と戦ったが敗れて一族と共にここ野老沢村に移り居を定めた。その長男斉藤主計之佐信廣は地域の平安と一族の繁栄を祈願するため先祖の神霊が鎮座する奈良多武峯の談山神社から御神体を移祭し金山権現とした(明治の神仏分離令により金山神社と改称)
平成四年(一九九二)火災により社殿及び御神体が焼失した。金山神社奉賛会と斉藤家では直ちに神社復興を計画し社殿を再建すると共に翌年平成五年八月一日奈良県櫻井市の談山神社に詣で再度御神体を拝受した。(境内掲示より)

「所沢市史」による所沢金山神社の由緒

この斉藤家は、別項で述べたように弘治三年西多摩郡御嶽神社に太刀を奉納し、その翌年金山町金山権現を勧請した。(「所沢市史」より)


所沢金山神社の周辺図