美園上八雲神社。山口城の鬼門除けとして天王社を奉祀
美園上八雲神社の概要
美園上八雲神社は、所沢市山口にある神社です。美園上八雲神社は、山口高忠が山口城の規模を拡大して当地を城内庭園に設け(美園上)、山口城の鬼門除けとして天王社を奉祀したといいます。山口城の落城に伴い衰廃したものの、名主小峰善右衛門が再建したといいます。
社号 | 美園上八雲神社 |
---|---|
祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 所沢市山口1328 |
備考 | - |
美園上八雲神社の由緒
美園上八雲神社は、山口高忠が山口城の規模を拡大して当地を城内庭園に設け(美園上)、山口城の鬼門除けとして天王社を奉祀したといいます。山口城の落城に伴い衰廃したものの、名主小峰善右衛門が再建したといいます。
新編武蔵風土記稿による美園上八雲神社の由緒
(堀之内村)
記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による美園上八雲神社の由緒
各字には、小祠や路傍の石仏が祀られている。(中略)字堀の内には天王様と呼ばれる八雲神社があり、七月一五日に祭りが行われ、囃子の奉納や盆踊りで賑わう。(「埼玉の神社:中氷川神社項」より)
境内石碑による美園上八雲神社の由緒
当社は鎌倉時代に山口城主十二代城主山口平内左衛門尉高治の嫡子高忠が山口城の規模を拡大し、六ツ家川の流れを外堀として堀之内に庭園を設けたので里人は此の辺りを美園上と稱する様になった。茲に城主が素盞嗚尊を奉祀し八雲神社(通称天王様)と尊稱して城の鬼門守護の社とした。其の後天正年間山口城は小田原北條氏の攻むる所となり落城した。当代城主の一子山口平内は北條氏の臣下に入り其の領地も今迄の入間郡多摩郡二郡に跨がる広大な地域を失い僅かに山口北野三ヶ島藤沢を領するに至った。時経るに従い八雲神社を守護する者なく荒廃の一途を辿ったが其の後武蔵野拾数箇村の総代名主小峰善右衛門が当社を再興した。茲に里人の念殊に篤く以来四百余年の間祭祀を催し地域民の幸福と和楽を祈念するに至った。
旧武蔵野國山口領堀之内郷椿峯鎮座
現所沢市大字山口字椿峯一三百二十八番地
昭和五十七年十二月吉日
所沢市山口堀之内町内会(境内石碑より)
美園上八雲神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)