光蔵寺。所沢七福神の寿老人
光蔵寺の概要
真言宗豊山派寺院の光蔵寺は、荒幡山無量院と号します。光蔵寺の創建年代等は不詳ながら、寛和(985-987)・貞和(1345-1349)・康安(1361)・永和(1375-1379)の記銘がある古碑があったといいます。年不詳ながら奥富より当地へ移転、法印賢宥(寛永19年1642年寂)が中興したといいます。所沢七福神(八国山・荒幡コース)の寿老人です。
山号 | 荒幡山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 光蔵寺 |
住所 | 所沢市荒幡499 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光蔵寺の縁起
光蔵寺の創建年代等は不詳ながら、寛和(985-987)・貞和(1345-1349)・康安(1361)・永和(1375-1379)の記銘がある古碑があったといいます。年不詳ながら奥富より当地へ移転、法印賢宥(寛永19年1642年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による光蔵寺の縁起
(荒幡村)光蔵寺
荒幡山無量院と號す、新義真言宗、多磨郡青梅村金剛寺の末、當寺元は郡中奥富村にありしを後此へ引移せしと云、本尊彌陀(新編武蔵風土記稿より)
所沢市史(社寺編)による光蔵寺の縁起
當寺古記録等傳フルナク創立ノ年暦詳ナラス、傳語ニ曰ク、往古同郡奥富村ニ在シヲ當村ニ移セリト(荒幡山ト號セルハ移轉後ノ改稱ナラン、古石四基現存ス、寛和・貞和・康安・永和年月日記載(此内寛和トアルハ年號二字ノ餘朽滅シテ讀ミ難シ)アレトモ共其何タルヲ知ル能ハス、當寺住僧入滅ノ日ナルヤ未詳、本尊ノ臺ニ記シテ云フ、弘法大師御作阿彌陀如来、慶長元年四月始メ再興ス、本願主法印賢良トアリ、寛永年間法印賢宥ナル者住職シテ復興ノ業ヲ成ス、因テ之ヲ中興関山ト稱スル、賢宥寛永十九壬午十二月三十日入寂ノ證アリ、後享保九甲辰年十月賢澄住職ノ節香衣一色着用格トナル、慶應二寅年十二月宥本住職ノ節香衣及ヒ浅黄二色着用格トナル、當寺境内八反八畝歩、當村地頭舊幕府徳川家ノ臣永井與次郎忠正ヨリ除地ノ許アリシヲ御一新ニ至リ明治四年辛未年品川縣ノ節上地ス(所沢市史社寺編より)
光蔵寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「所沢市史社寺編」