金仙寺。平安時代創建の伝承、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所
金仙寺の概要
真言宗豊山派寺院の金仙寺は、別所山西光院と号します。金仙寺の創建年代等は不詳ながら、平安時代に傳燈阿闇梨覺堂が字堂入に創建したと伝えられ、小田原北条氏滅亡の際に焼失、天正18年(1590)堯戒律師が当地へ移転して中興、慶安年間には寺領9石の御朱印状を拝領したといいます。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所66番です。
山号 | 別所山 |
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院号 | 西光院 |
寺号 | 金仙寺 |
住所 | 所沢市堀之内343 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金仙寺の縁起
金仙寺の創建年代等は不詳ながら、平安時代に傳燈阿闇梨覺堂が字堂入に創建したと伝えられ、小田原北条氏滅亡の際に焼失、天正18年(1590)堯戒律師が当地へ移転して中興、慶安年間には寺領9石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による金仙寺の縁起
(堀之内村附新田)金仙寺
名主政右衛門が舊記に據に、當寺は小田原北条家分國の頃は、小名堂入と云所にありて、北條氏より阿彌陀免として八町餘の地を寄附せしが、小田原滅亡の後丙丁の災にかかり、堂宇悉く烏有となり寺地さへ失ふに至れり、御入國の後も暫く廃寺となりて有りしを、慶安年中に至りて寺領九石の御朱印を賜へり、爰に於て絶たるを継ぎ、今の如く堂宇を結構せしと云、新義真言宗、多磨郡青梅村金剛寺の末寺なり、本尊彌陀立像にて長五寸、行基菩薩の作なりといへり(新編武蔵風土記稿より)
所沢市観光協会掲示による金仙寺の縁起
別所山西光院金仙寺
今から約千百年前に覚堂という僧が、真言宗を開かれた弘法大師空海(七七四-八三五)の作られた身の丈約五十九cmの阿弥陀如来を本尊として、現在地の西方「堂入り」に開山したと伝えられています。
その後、鎌倉北条氏の信仰を得て、建長六年(一二五四)に八町歩余り(約二、四〇〇坪、七九、二〇〇㎡)の土地が寄贈されました。
現在地へは天正十八年(一五九〇)堯戒律師によって再建されました。
また、昭和三十八年(一九六三)現在の本堂が落慶、続いて昭和四十五年(一九七〇)に庫裡が改築されました。
本堂内には本尊阿弥陀如来・宗祖弘法大師・中興の祖興教大師・不動明王・観音菩薩像等を安置し、檀徒の祖先がまつられています。また、境内には新四国八十八ヶ所霊場第六十六番の弘法大師堂があります。
四季折々の自然に恵まれ、特に所沢市指定の「しだれ桜」は樹齢百二十年余の名木といわれています。(所沢市観光協会掲示より)
所沢市史(社寺編)による金仙寺の縁起
當寺創立年紀等確記ナシ、傳燈阿闇梨覺堂宗祖空海上人之作御丈壹尺八寸ノ阿彌陀如来ヲ安置シ當寺創立スト、最モ古ハ村坤ノ方字堂入ニアリ、建長六年ノ頃鎌倉北條氏領地タリ、以テ當寺へ阿彌陀免トシテ八町餘ノ地ヲ寄附セラル、天正二年火災ニ罹リ古記録灰燼ニ属シ、同十八年現在字寺前ノ地ニ轉シ、當住堯戒律師中興開基ス、共後舊幕府徳川家ヨリ寺領九石ヲ賜、御一新ニ至り寺領奉還シ、代テ遞減禄ヲ賜(所沢市史社寺編より)
金仙寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「所沢市史(社寺編)」