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長源寺。所沢市下安松にある曹洞宗寺院、大石定久開基

長源寺の概要

曹洞宗寺院の長源寺は、安松山と号します。長源寺の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて天台宗の大寺院があったといいます。其の後北條氏照、及びその養父大石源左衛門定久が開基となり、傑用徳英(元亀3年1572年寂)が曹洞宗寺院として開山、天正19年(1591年)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

長源寺
長源寺の概要
山号 安松山
院号 -
寺号 長源寺
住所 所沢市下安松487
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 安松会館
備考 慈光幼稚園



長源寺の縁起

長源寺の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて天台宗の大寺院があったといいます。其の後北條氏照、及びその養父大石源左衛門定久が開基となり、傑用徳英(元亀3年1572年寂)が曹洞宗寺院として開山、天正19年(1591年)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による長源寺の縁起

(下安松村)長源寺
安松山と號す、曹洞宗、多磨郡山入村乾晨寺の末、天正十九年寺領十石の御朱印を賜ふ、此寺領元は多磨郡廻り田村にて賜はりしが、後に村内に願ひかへたりとなり、今廻り田に長源寺分と云地名あるは是なりとぞ、相傳ふ此境内昔は台教の伽藍ありしと、今も此邊の土中より布目ある瓦及び骨壺などまま掘出すことありと云、其壷か太刀小さきは何れも荼毗せし時のものなるべし、又上安松の山王はそのかみ境内の鎮守なりと云、其後伽藍の廃せしは何の頃にや、其後北條氏大旦那となりて僧傑用徳英を開山として起立す、徳英は元亀三年七月十五日化す、按に北條氏と云は此近郷の城主陸奥守氏照なるべし、又北條氏の位牌とて安置すれど、文字浸滅して讀べからず、鐘銘の文に掾れば、氏照が養父大石源左衛門定久が位牌にして、開基も亦同人なるにや、其銘文は下に出せり、本尊釋迦を安ず、外に彌陀の霊像あり、そのかみ所持せしものなるか、不敬のことありて屢崇を得し故、當寺に納めしと云傳ふ、寺寳に北條氏の文書及び古き鞍鐙等ありしが三十年前の回禄にかかれりと云。
鐘。衆寮の前にあり、銘文に長源禅寺傑用禅師開闢、而大石通春公之草創、加之従東照宮世々賜印之古寺也、(下略)元禄十三年七月と彫る、按に通春は源左衛門定久、入道道俊にて、北條陸奥守氏照の養父なるべしと云。
白山社。氷川社。神明秋葉合社。古碑一基、墓所にあり、元徳の年號とおぼしき文字かすかに見ゆ。(新編武蔵風土記稿より)


長源寺所蔵の文化財

  • 長源寺四脚門(所沢市指定文化財)

長源寺四脚門

四脚門とは、主柱二本の前後にやや細めの控柱を左右に二本ずつ計四本たてたもので、控柱の数からついた名称です。日本の門の建築様式のひとつで「よつあしもん」とも呼ばれています。
屋根は、「反り破風」と呼ばれる反りをもつ瓦葺で、棟を中央にして前後に勾配をつけた「切妻造」と呼ばれる形状をしています。軒下には「獅子」や「波に千鳥」の優れた彫刻が施されており、総欅造りの堂々たる山門です。
この門は、主柱の間と扉口部が一ヵ所ある、「一間一戸」と呼ばれる構造で、間口は二メートル九十センチ、主柱と前後の控柱との間隔は一メートル七十センチあります。主柱の太さは三十八X二十四センチです。内開き戸で閂(錠)がついた門扉があり、扉の下部には「蹴放し」と呼ばれる敷居があります。
棟札等の建築年代を裏付けるものはありませんが、構造手法から江戸時代後期の建築と推定されます。(所沢市教育委員会掲示より)

長源寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿