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新曾氷川社。戸田市氷川町の神社

新曾氷川社の概要

新曾氷川社は、戸田市氷川町にある神社です。新曾氷川社は、法印権大僧都長順が記した「氷川明神縁起」に正長2年(1429)に大宮の氷川神社を勧請して創建したと記されているといい、古くより新曾村の鎮守として祀られてきたといいます。明治6年村社に列格、明治40年に字柳原の八幡社、字小玉の神明社、字稲荷耕地の稲荷社、字前谷耕地の稲荷社を合祀したといいます。

新曾氷川社
新曾氷川社の概要
社号 氷川社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 八幡社、神明社、稲荷社、秋葉社
祭日 -
住所 戸田市氷川町2-12-9
備考 -



新曾氷川社の由緒

新曾氷川社は、法印権大僧都長順が記した「氷川明神縁起」に正長2年(1429)に大宮の氷川神社を勧請して創建したと記されているといい、古くより新曾村の鎮守として祀られてきたといいます。明治6年村社に列格、明治40年に字柳原の八幡社、字小玉の神明社、字稲荷耕地の稲荷社、字前谷耕地の稲荷社を合祀したといいます。

戸田市教育委員会掲示による新曾氷川社の由緒

新曽氷川神社と夫婦柿
創立は永享元年(一四二九)と伝え、古くから旧新曽村の鎮守として祀られてきました。
祭神は素戔嗚尊、奇稲田姫命ほか四柱です。祭礼は、毎年十月十八日となっています。
明治六年に村社となり、明治四十年に神明社(新曽小玉)、八幡社(新曽柳原)、稲荷社(新曽稲荷)などを合祀して現在にいたっています。
また、境内には高さ十メートルを越える大きな柿の木があります。これは、俗に「夫婦柿」といって、一本の木に雌型(丸形)と雄型(細形)の柿が実る珍しいものです。柿は雌雄異花といって一本の木に雌花と雄花とができて授粉し、雌花に結実するようになっていますが、この夫婦柿は雄花にも実が成るものです。雄花の結実は、退化したはずのめしべが突然変異によって不完全ながらその役を取り戻したためと考えられています。市の天然記念物として指定されています。(戸田市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による新曾氷川社の由緒

(新曾村)
氷川社。
村の鎮守なり。中央に本地十一面観音を安置し、左右に男体女体の二神を置けり。金剛院
神明社
常楽寺持
末社。稲荷社、土人王子稲荷と称す。
八幡社
薬王院持
稲荷社
福壽院持なる故福壽稲荷といふ。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による新曾氷川社の由緒

氷川社<戸田市氷川町二-十二-九(新曾字前谷)>
当社の主祭神は、素盞鳴命と奇稲田姫命の二柱である。正長二年(一四二九)六月に法印権大僧都長順が記した「氷川明神縁起」(国立国会図書館蔵)によれば、当社は、大宮の氷川神社から正長二年に勧請したものであるといい、別当寺の金剛院は宮本坊長順が霊夢によって創建したことを伝えている。
『風土記稿』新曾村の項には「氷川社 村の鎮守なり、中央に本地十一面観音を安置し、左右に男体女体の二神を置けり、金剛院持」と見える。この文中に記されている十一面観音は、神仏分離の際に廃されたものらしく現存しないが、男体女体の神像はそれぞれ全高が三二センチメートルと二九センチメートルの木像で、今も本殿に奉安されている。
神仏分離により金剛院の管理下を離れた当社は、明治六年に村社となった。また、同四十年には、政府の合祀政策に従って字柳原の八幡社、字小玉の神明社、字稲荷耕地の稲荷社、字前谷耕地の稲荷社の計四社の無格社を合祀した。このうち字柳原の八幡社は『郡村誌』に「嘉吉三年(一四四三)勧請す」と記載されている。現在、本社の傍らにある祠がこれらの合祀社を集めた社で、その中に納まる古色を帯びた二頭の竜頭形の獅子頭は、八幡神社を合祀した際に同社から移したものである。(「埼玉の神社」より)


新曾氷川社所蔵の文化財

  • 新曽氷川神社の夫婦柿(戸田市指定天然記念物)

新曾氷川社の周辺図