鉢形白山神社。もと鉢形城の表鬼門鎮守
鉢形白山神社の概要
鉢形白山神社は、寄居町鉢形にある神社です。鉢形白山神社の創建年代等は不詳ながら、元中年間(1384-1392)の勧請と伝えられ、太田道灌も当社を参拝、駒つなぎの桜と椋を植樹、椋の木は現存し、当社御神木となっています。その後鉢形城主北条氏邦は永禄年間(1558-1570)鉢形城を修築、城の表鬼門鎮守として社殿を再建したといいます。天正18年(1590)に鉢形城は落城、江戸期は、関山村の小名立が瀬の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格していました。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 菊理媛命 伊弉諾損 伊弉冉尊 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂、天神、手長男神社 |
祭日 | 春祭り4月3日、夏祭り7月19・20日、例祭10月18日、秋祭り12月16日 |
住所 | 寄居町鉢形468 |
備考 | - |
鉢形白山神社の由緒
鉢形白山神社の創建年代等は不詳ながら、元中年間(1384-1392)の勧請と伝えられ、太田道灌も当社を参拝、駒つなぎの桜と椋を植樹、椋の木は現存し、当社御神木となっています。その後鉢形城主北条氏邦は永禄年間(1558-1570)鉢形城を修築、城の表鬼門鎮守として社殿を再建したといいます。天正18年(1590)に鉢形城は落城、江戸期は、関山村の小名立が瀬の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格していました。
境内掲示による鉢形白山神社の由緒
奥宮再建記念碑
白山神社祭神 菊理媛命 伊弉諾損 伊弉冉尊
古書によればこの白山神社は人皇九十八代後亀山天皇の御宇元中年間の勧請永禄年中(四百拾年前)鉢形城主北条氏邦が同城鬼門除の祠として再建せるものであり偶々明治二十五年三月三日類焼同年九月十五日現在の社殿に改築せりという。
尚奥宮については永禄年間のものでその普及甚だしく更に類焼による損傷等これを看過するに偲びずこの度氏子等相謀り造営となる。
茲にこの経緯を記録し長く後世に傳えんとす(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による鉢形白山神社の由緒
(男衾郡關山村)
關山村は白岩村の東南に續けり、家數十六軒御打入の後より御料所に屬し、延享年中まで猶かはらざりしに、其後逸見出羽守の加恩の地に賜はり、今子孫英介の知る所なり、検地は前村に異ならず、
小名:立ヶ瀬、中久保、庚申塚、五枚畠、猫岩、原、大塚、猿楽場(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による鉢形白山神社の由緒
白山神社<寄居町鉢形四六一(鉢形字立ヶ瀬)>
当社は、荒川右岸の絶壁近くにある字立ケ瀬に鎮座している。立ケ瀬の地名は、荒川の川瀬に切り立つ地を示すもので、南西部には自然の要害を利用して築いた鉢形城の城跡がある。
創建は社伝によると、第九九代の後亀山天皇の代、元中年間(一三八四-九二)である。祭神は、菊理媛命・伊弉諾命・伊弉冉命の三柱である。本地仏は、白山妙理大権現の化身である観音菩薩で、この像は現在も本殿に奉安されている。
文明年間(一四六九-八七)太田道灌は鉢形城へ訪れる道すがら当社に参拝し、武運長久を祈願している。また、この折、境内に駒つなぎの桜と椋の二本の樹木を植えている。桜の木は、当社の春祭りのころ、毎年見事な花をつけ、境内で酒宴を開く氏子を和ませたが、残念ながら明治初期に枯れている。椋の木は現在も残り、神木として大切にされている。
永禄年中(一五五八-七〇)北条氏邦は、鉢形城を自然の要害を利用しながら修築拡張し、北武蔵の要として備えを固めた。この時、当社は、城の表鬼門に当たることから重要視され、神の加護を得んとして社殿を再建している。
江戸期は、関山村の小名立が瀬の鎮守として村人に信仰され、更に明治五年に村社となった。(「埼玉の神社」より)
鉢形白山神社の周辺図