露梨子春日神社。明暦元年に創建、露梨子村の鎮守
露梨子春日神社の概要
露梨子春日神社は、寄居町露梨子にある神社です。露梨子春日神社は、悪疫と天災が続いた明暦元年(1655)に、社家の相馬家が創建したといいます。江戸期には露梨子村の鎮守として奉斎され、明治維新後の社格制定に際し明治9年村社に列格、明治44年には白山神社を合祀しています。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | 木花開耶姫命、不動、稲荷、八坂、天神 |
祭日 | 祈年祭4月15日、お祇園7月21・22日、例祭10月15日 |
住所 | 寄居町露梨子160 |
備考 | - |
露梨子春日神社の由緒
露梨子春日神社は、悪疫と天災が続いた明暦元年(1655)に、社家の相馬家が創建したといいます。江戸期には露梨子村の鎮守として奉斎され、明治維新後の社格制定に際し明治9年村社に列格、明治44年には白山神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による露梨子春日神社の由緒
(男衾郡露梨子村)
春日社
村の鎮守にて、折原村神主相馬播磨持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による露梨子春日神社の由緒
春日神社<寄居町露梨子一六〇(露梨子字滝之原)>
書沢川沿いの桑畑の中の小道を進むと、こんもりとした森に至る。この奥を入った所に当社はひっそりと鎮まっている。氏子の集落から離れているためか、日中でも人影はなく、眼下を流れる清流の音だけが静けさの中に響き渡る。
当社の創建は、社家である相馬家の伝えによれば、明暦元年(一六五五)十二月十日のことでありた。この年、一帯に悪病が流行し、更に数年来の天災続きで村は疲弊していた。一計を案じた神職相馬筑後守宗次は春日神社をこの地に鎮祭し、村民と共に祈願したところ、たちまちにして悪病が治り、天災もやんだ。以来、村人は厚く当社を崇敬しているという。
『風土記稿』は「春日社村の鎮守にて、折原村神主相馬播磨持」と載せている。明治九年五月に村社となり、同四十四年十月には地内の字宮前から村社白山神社を合祀した。
相馬家は、天長元年(八二四)から神主を務めると伝える旧家である。相馬筑後守宗次は明暦元年八月十日に同家で初めて神紙管領から「折原村聖天之祠官」として神道裁許状を受けている。
境内に祀る不動尊にちなみ、書沢川にある小さな滝を「不動の滝」と呼ぶ。あるいは、不動尊は当社創建以前から祀るものであろうか。(「埼玉の神社」より)
露梨子春日神社の周辺図