昌国寺。水野石見守長勝開基
昌国寺の概要
曹洞宗寺院の昌国寺は、赤龍山と号します。昌国寺は、徳川家康の関東入国後に当地を領した水野石見守長勝(法名清用院殿壽光常圓大居士)が開基となり創建、曜室英旭和尚(慶長3年1598年寂)が開山したといいます。曜室英旭和尚が入寂した翌年の慶長4年(1598)には、徳川家康より寺領20石の御朱印状を受領しています。水野石見守長勝とその父母の墓は寄居町文化財に指定されています。
山号 | 赤龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 昌国寺 |
住所 | 寄居町赤浜915 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釋迦牟尼佛像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
昌国寺の縁起
昌国寺は、徳川家康の関東入国後に当地を領した水野石見守長勝(法名清用院殿壽光常圓大居士)が開基となり創建、曜室英旭和尚(慶長3年1598年寂)が開山したといいます。曜室英旭和尚が入寂した翌年の慶長4年(1598)には、徳川家康より寺領20石の御朱印状を受領しています。
新編武蔵風土記稿による昌国寺の縁起
(男衾郡赤濱村)
昌國寺
禅宗曹洞派、立原村東國寺末、赤龍山と號す、慶長四年二月廿日二十石の寺領を給はれり、開山曜室英旭和尚、慶長三年四月十日寂す開基は水野石見守長勝、法謚清用院壽光浄圓、慶長十四年十一月三日卒、境内に墓所あり、本尊釋迦を安ず、當寺の側に蔵屋敷と唱ふる地あり、これ水野石見守長勝が住せし陣屋跡なりと云、今山林にて村民の持なり、
鐘樓。寶永五年鑄造の鐘をかく、
白山社
稲荷社
地蔵堂
觀音堂
水野氏墓。境内墓所にあり、先祖の石碑は中央にて、開基長勝の碑もあり、從五位下永野石見守・藤原長勝・清用院殿壽光常圓大居士、于時慶長十四年霜月三日とえる、右の一基は水野新左衛門長勝、父畠山常久大禅定門、慶長元年三月年六日と記し、左の一基は水野右衛門大夫忠政息女、水野新右衛門長勝母、月貞妙心大姉、慶長二年五月五日とあり、(新編武蔵風土記稿より)
昌国寺の周辺図