少林寺。寄居町末野にある曹洞宗寺院

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少林寺。藤田右衛門佐康邦開基、武州寄居十二支守り本尊霊場

少林寺の概要

曹洞宗寺院の少林寺は、萬年山と号します。少林寺、長泉寺開山大氵周存奝大和尚が開山となり、永正8年(1511年)創建、開基は藤田右衛門佐康邦といいます。慶安年中(1648-1652年)寺領15石の御朱印状を拝領、二十四世大純万明大和尚の代に山中に釈尊、十六羅漢、五百羅漢の石像並びに千体荒神石碑を安置したといいます。武州寄居十二支守り本尊霊場の卯札所です。

少林寺
少林寺の概要
山号 萬年山
院号 -
寺号 少林寺
住所 寄居町末野2072-1
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼佛
葬儀・墓地 -
備考 武州寄居十二支守り本尊霊場の卯札所



少林寺の縁起

少林寺、長泉寺開山大氵周存奝大和尚が開山となり、永正8年(1511年)、創建開基は藤田右衛門佐康邦といいます。慶安年中(1648-1652年)寺領15石の御朱印状を拝領、二十四世大純万明大和尚の代に山中に釈尊、十六羅漢、五百羅漢の石像並びに千体荒神石碑を安置したといいます。

寄居町・埼玉県掲示による少林寺の縁起

曹洞宗の寺である少林寺は、永正8年(1511年)、長泉寺開山大氵周存奝大和尚が乞われて開山となりました。
開基は、北条氏康の家臣となった藤田右衛門太夫国村となっているが、康邦だろうともいわれており確かではありません。
本尊は釈迦牟尼仏です。
慶安年中(1648-1652年)寺領15石を与えられています。
二十四世大純万明大和尚の時、文政9年(1826年)春より四方浄財を募り、寺後山中に釈尊、十六羅漢、五百羅漢の石像並びに千体荒神石碑を天保3年(1832年)に安置し、信仰の道場として今日に続いています。
山頂に立てば、寄居市街地が一望できるとともに秩父連峰が目前に迫り、眼下に円良田湖が望めます。(寄居町・埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による少林寺の縁起

(末野村)少林寺
禅宗曹洞派、小玉郡高柳村長泉寺の末、萬年山と号す、又熊耳峯と云、開山大洞存奝天正十六年十月二十日示寂、開基は藤田右衛門佐康邦永正十五年十一月十五日卒、藤栄院花巌常春庵主と称す、按に藤田右衛門佐康邦は、後用土新左衛門康邦と改め、北条氏康に従ひ、天文二十四年九月卒し、法名を藤源院殿天山組繁大禅定門と云しよし寄居村正龍寺の傳へなり。是に合せ考ふるに、永正十五年より天文二十四年は、其間三十八年をへだてり。されば時代もたがひことに法諡もあはざれば、当寺の傳ふる所は同人にはあらざるべし、藤田の系図によれば、康邦が父を右衛門大夫国村と云し由をのす、若此人の開基なりといはば時代も叶ふべし、されど是は私の考へなれば、暫くしるし置て後の正しき説を待のみ。後新太郎氏邦の時に至り、富永能登守奉りて寺地を寄付し、且寺内不入の制札を与ふ、天正の末には度々兵乱をへて衰微せしが、御入国の後再興ありて頗る奮観に復し、慶安年中寺領十五石を賜ひしより今に至れり、本尊釈迦。
鐘楼。元禄八年鋳造の鐘を掛く。(氏邦花押省略)
寺寶。
古鰐口一口。近年堂後の山より掘出せりと云、これによれば当寺にもと八幡社ありしや、又黒澤右衛門太郎政信とあるは、如何なる人にや詳にせず、天正十八年の頃北条安房守氏邦に従ひ鉢形の城にこもりし、黒澤上野之助が父祖の内なるにや、又慶長の頃黒澤帯刀と云ものあり、是らもその子孫なるべし、かの鰐口を掘出せし時、共に掘出せしとて、阿弥陀の木像あり、長二寸許、古物なり、これ八幡の本地佛なるべしと云、鰐口の図上に出せり。
塔頭。
久昌院。
萬寶院。本尊大日を安ず、村民の持。(新編武蔵風土記稿より)


少林寺所蔵の文化財

  • 五百羅漢

少林寺の周辺図