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荒子八幡神社。比企郡吉見町荒子の神社

荒子八幡神社の概要

荒子八幡神社は、比企郡吉見町荒子にある神社です。荒子八幡神社の創建年代等は不詳ながら、村民良助の先祖茂兵衛が慶長年間(1596-1615)に当地を開発「茂兵衛新田」と呼ばれていた頃に創祀したのではないかとい推測され、社殿は文政4年(1821)に造立、その後次第に境内整備を整えてきたのではないかといいます。

荒子八幡神社
荒子八幡神社の概要
社号 八八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 稲荷神社
祭日 -
住所 比企郡吉見町荒子472
備考 -



荒子八幡神社の由緒

荒子八幡神社の創建年代等は不詳ながら、村民良助の先祖茂兵衛が慶長年間(1596-1615)に当地を開発「茂兵衛新田」と呼ばれていた頃に創祀したのではないかとい推測され、社殿は文政4年(1821)に造立、その後次第に境内整備を整えてきたのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による荒子八幡神社の由緒

(荒子村)
掲載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による荒子八幡神社の由緒

八八幡神社<吉見町荒子四七二(荒子字芝附)>
『風土記稿』によれば、荒子は、「村民良助が先祖茂兵衛」という人物が慶長年間(一五九六-一六一五)に開発したという。慶長十九年の伊奈半十郎の検地や正保の改めの図からも知られるように、当初は開発者の名を採って「茂兵衛新田」と呼ばれていたが、寛文のころ(一六六一-七三)に現在の名に改めたと伝えている。当社の境内は、この荒子の集落の北方にあり、村の鎮守として祀られてきた。境内の周囲は一面の水田で、社殿は水害を避けるために塚の上にある。
当社の本殿は、文政四年(一八二一)に熊谷の宮大工によって造営されたと伝えられているが、それ以前のことについては、明らかではない。また『風土記稿』荒子村の項には、村内の神社についての記載がない。しかし、当時の荒子は「家数七十余」と、この地域では比較的大きな村であったから、村に鎮守がなかったとは考えにくく、『風土記稿』も善長寺(明治四年に廃寺)について「八幡山と号す、本尊不動」と載せているところから、そのころ既に当社が存在していたことがうかがわれる。
したがって、当社は、はじめは『風土記稿』の筆者に見落とされるほど、塚の上に石の祠が一つある程度の極めて小さい神社であったのを、文政四年に至って社殿を造営し、その後次第に設備を整えて現在の姿になったのではないかと考えられる。(「埼玉の神社」より)


荒子八幡神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)