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一ツ木荒神社。比企郡吉見町一ツ木の神社

一ツ木荒神社の概要

一ツ木荒神社は、比企郡吉見町一ツ木にある神社です。一ツ木荒神社の創建年代等は不詳ながら、文禄年中(1592-1596)当所に土着した原家が、当地を開拓、原家の鬼門除けとして祀られたといいます。江戸期には一ツ木村の鎮守として祀られ、明治4年村社に列格しています。

一ツ木荒神社
一ツ木荒神社の概要
社号 八荒神社
祭神 火産霊神、澳津彦命、澳津姫命
相殿 -
境内社 橘明神、九頭竜、八坂、稲荷、氷室、塞神2、天満
祭日 春祭り、夏祭り、秋祭り
住所 比企郡吉見町一ツ木236
備考 -



一ツ木荒神社の由緒

一ツ木荒神社の創建年代等は不詳ながら、文禄年中(1592-1596)当所に土着した原家が、当地を開拓、原家の鬼門除けとして祀られたといいます。江戸期には一ツ木村の鎮守として祀られ、明治4年村社に列格しています。

新編武蔵風土記稿による一ツ木荒神社の由緒

(一ツ木村)
荒神社
是も(氷川社と同じく)鎮守なり、長泉寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による一ツ木荒神社の由緒

八荒神社<吉見町一ツ木四八六(一ツ木字本村)>
当社は荒川堤防を背にして鎮座している。創建は、原家の鬼門除けとして祀られたことに始まると伝えられる。
原家については、『風土記稿』一ツ木村の項に「旧家者徳太郎 当村草創の民なり、先祖勘解由良房は武田家人原隼人正が子孫なり、甲州没落の後、久しく当郡松山に住す、文禄年中(一五九二-九六)当所に土着して、民家に下る、其後良房慶長六年(一六〇一)七十一歳にして卒す、其子右馬祐良清は寛永十六年(一六三九)六十五歳にして卒す、墳墓竜ケ谷にあり、此正統は則徳太郎なり、良清が次男原五郎兵衛良親が子孫は、今名主作兵衛是なり」と記されている。また「天正庚寅松山合戦図」の北曲輪の守備に原勘解由良房・原左馬祐良清の名が見え、恐らく松山落城により一ツ木村に土着帰農して草分け名主として開発に当たったものであろう。
その後、村の開発が進む中で、当社は村の鎮守として崇敬を集めるようになり、『風土記稿』には「是も(村の)鎮守なり、 長泉寺持」と載せられている。これに見える別当の長泉寺も原家の開基であり、万治年中(一六五八-六一)に創建されたと伝えられる。
神仏分離により長泉寺の手を離れた当社は、明治四年六月に村社となった。(「埼玉の神社」より)


一ツ木荒神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)